
久々の参観
7月3連休の最終日――。
早暁より気温が高く、更に上昇を続ける朝の京都市街に、抜身の長刀(なぎなた。薙刀)が夏空高く突き立てられる。
今日、7月17日は京都市街中心地で祇園祭の山鉾巡行が行われる日であった。昨晩その前夜祭たる「宵山」に接したが、折角なので、久々に巡行も参観することにした。
上掲写真 竿(真木。しんぎ)先で天を突く、祇園祭巡行の先発山鉾「長刀鉾(なぎなたぼこ)」の大長刀。元は平安末の名工・三条小鍛冶宗近作の名刀を用いたという。巡行先頭で目に見えぬ悪疫を切るように据えられたその様は、疫病退散神事を起源とする祇園祭を象徴する存在である。

昨夜は宵山参観で帰宅が遅く、また就寝も遅かったので、今朝は巡行開始30分以上後に現地着する出遅れとなった。それでも、後方の交差点を狙ったので、まだ先頭の山鉾を見ず、結果的に間に合った。
しかし、沿道の人出は多く、日陰の歩道際等には二列以上の待ち人で占められていた。そして、次々と到着する後来の人により、人出は更に増す。故に、混雑で観覧し難い交差点付近から少し離れて山鉾到来を待った。
そして、待つこと30分程で現れたのが、写真の「祇園会(ぎおんえ)」の幟。祇園祭の古称・総称であり、巡行の先頭であった。距離の割に時間がかかったが、四条河原町交差点での最初の辻回し(山鉾の方向転換)に時間がかかっていたようである。

そして、幟のあとに一番手の長刀鉾が現れた。いきなりの御大登場に、山鉾の壮麗と迫力を感じた

山鉾の順序は毎年籤(くじ)で決められるが、別格の長刀鉾は「籤取らず」とされていて、毎回先頭をゆく。そして、その別格を象徴するように、地域縁の子供から選ばれた「生稚児」が乗る。現在稚児が乗る山鉾は長刀鉾のみで、巡行前に通りに渡された注連縄を切る役割ももつ

目の前を過ぎた長刀鉾は程なくして御池通の交差点に入り、「辻回し」で方向転換を行う。水をかけた竹板上を綱をもつ曳き手らが数回滑らせて90度転回する。巡行の見せ場である。これは既に60度程回った状態

長刀鉾のあとは籤順通りに曳山が続く。これは人が担ぐ舁山(かきやま。現在は車輪付)の一つ「白楽天山」。日本の詩歌に多大な影響を与えた中唐詩人・白居易(白楽天山)と、問答で彼を感服させた鳥窠道林(ちょうかどうりん。道林禅師)の二神像等が置かれている

白楽天山の懸装品の一つ、古い胴掛。近年購入したものらしいが、貴重な18世紀製のベルギータペストリーが使われている。20年くらい前まではどこの山鉾も江戸期そのままの懸装品が使われていたが、最近は保護のため複製に替えられることが多いので貴重である。なお、同山の前掛には16世紀のベルギータペストリーが使用されていたが、今は新調の複製が使われている(これも本式で製作されたので素晴らしいが)

2023年7月17日の正午過ぎ、河原町御池交差点南に現れた月鉾
堪らぬ暑さ
さて、目の前には順次山鉾が現れるが、時間が進むにつれ気温も高まり、また南北の通りにいたため日陰も減少した。実は、今日午後から37度超の猛暑が予報されていた。
辛いので早く引き上げようと思っていたが、せめて小時より実家と縁があった月鉾を観てからにしようとするが、これが中々来ない(笑)。山鉾中最大かつ最も重い鉾にもかかわらず、籤取らず等の優遇は与えられないのか。
そして漸くそれが現れたのは、殆ど日陰も失せた12時過ぎのことであった。恐らく、気温は既に35度を超えているかと思われた。梅雨時の所為か、湿度も高い。暑くて堪らないが暫しの辛抱である。そういえば、周囲の人も格段に減っていた。

大きさだけでなく、全山鉾中、最も豪華とされる月鉾の屋根飾りや懸装品の数々。但し、稚児は生身ではなく、稚児人形が乗せられている

河原町御池交差点南を進む巡行中の月鉾の胴部(側面)と、楼上で演奏する囃子方。月鉾の懸装品もほぼ全て新調されているようにみえた。胴掛の絨毯はムガル(前近代インド)製らしいが、重い色調と硬質の図柄からバローチ製とも思われた。それは、ペルシャ(現イラン)と西インド(パキスタン)南部に住むイラン系住民による名品である
巡行参観は良し
暑さには注意
月鉾が去り、まだ鉾が続いたが、退散することに。帰路欲張って遠方で買物して戻ったが、体温超の暑さに見舞われ、自転車使用ながら少々気分が悪くなった。
久々に巡行参観が出来て良かったが、まだ身体が慣れぬ危険な暑さには要注意との教訓も得たのである。