2024年08月12日
観新陶美
新装開館の名館を初観覧
今日は珍しく朝から大阪へ。
その中心部・中之島の東洋陶磁美術館で行われている特別展を参観するために。振替休日で閑散とする地下駅構内を潜り抜け、そこへと向かった。
上掲写真 地下駅構内から地上に出て間もなく現れた、旧淀川中洲に並び立つ建築群。目の前の栴檀木橋向こうに立つ歴史的建造物が大阪市中央公会堂(大正7(1918)年竣工)で、右端の低い茶色の建屋が美術館となる。
橋を渡り、中之島に入ると全貌を表わした東洋陶磁美術館。名館と人から勧められながらも一度も来たことがなかったので、今回が初観覧となる。そういえば、今日も猛暑予報だったが、朝の大阪は京都より少し涼しく感じられた
美術館前で大阪在住の友人と落ち合い入館する。ガラス張りのエントランス部分にはこの様な特別展の案内表示があった。展覧会名からは解り難いが、2年の改装休館を経た、新装開館記念展であった
美術館はその名の通り、アジアの陶磁器を専門とする。主に中国・朝鮮・日本の名品を収蔵し、展示されているが、その中でも目玉といえるのが、案内表示に使われている、この建盞(けんさん)。中国南宋時代(12-13世紀)に作られた油滴天目茶碗で、国宝に指定されている
専用の特別室中央に置かれたガラス棚内の国宝天目は、照明等を工夫した新しい手法で展示されている。そのため、かなり近くから碗内のこの「油滴銀河」を堪能することが出来た。以後、気になった展示品を紹介する
これは中国唐時代(8世紀)の加彩美人俑(よう)。旧住友家蒐集品で、流麗は体躯や表情のどれをとっても非の打ち所がない名品
これは旧李秉昌(りへいしょう)博士蒐集品の中国北宋時代(11世紀)耀州窯の青磁盤(ばん)。中国青磁の名窯・龍泉窯等とはまた違った、くすんだ青緑色がその特徴であり魅力。個人的に最近注目してた窯だったこともあり、径数cmの小品ながら感銘を受けた。約千年前の製造とは思えない凄い釉調・技術である
こちらは高麗青磁の名品(12世紀)。これも住友家旧蔵品で、見込み(碗内)に溜まったガラス釉の濃淡が素晴らしい。この様な中国陶磁に引けを取らない精緻さを持つ作品は前近代朝鮮ではこの時代が最初で最後となる
これも住友家旧蔵品で元加賀前田家の伝来品。中国南宋時代(12-13世紀)吉州窯の木葉天目茶碗。見ての通り木葉を焼き込んだユニークな作風で、人間国宝陶芸家・石黒宗麿氏が再現に成功したことでも知られる
これは教科書の口絵などでもお馴染みの飛青磁花生(とじせいじ・はないけ)。中国元時代(14世紀)龍泉窯の名品で、住友家旧蔵品かつ元鴻池家の伝来品。伝世飛青磁の最高傑作とされる著名作
今回の新装展では日本の陶磁器も数多く展示されたが、この色絵陶器もその一つ。我が京都江戸期(17世紀後半)の「古清水(こきよみず)」で、所謂、京焼・清水焼の祖的名品である。精緻なその完成度から京焼の大成者・野々村仁清との関係も指摘されるが定かではない。底部に生産地を指すとの説がある洛北「岩倉」の銘が捺されている
猛暑の観展に感謝!
予想外に大量に展示された東洋三国の名陶磁の数々を堪能し退館。元の姿は知らないが、新装の東洋陶磁美術館は美麗で快適であった。京都からも近いので、また機会あれば参観したいと思う。
退館後、友人と近くで食事や喫茶に興じ、夕刻まで旧交を温めた。午後からの大阪もやはり京都同様の猛暑に。そんな時機に観展等に付き合ってくれた友人に感謝したい。
2024年08月10日
猛暑迎盆
京師盆入
先月下旬の梅雨明け前から3週以上猛烈な暑さが続いている。
それは午後から外出できないような酷さであった。長期予報で聞いて覚悟してはいたが、やはり身に堪(こた)える。
しかし、そうしている内に盆期間に入ってしまった。自分が暮す京都市街のそれは他所より少し早い7日から。そこから10日までの間を「迎え盆」と呼び、祖霊が戻る来る期間としている。
不意に、早そんな時期になったのかと思い、迎え盆最終日の本夕、急ぎ盆参りの著名地、六波羅へと向かった。
上掲写真 六道珍皇寺(ろくどう・ちんのうじ)の迎え鐘を撞く迎え盆参拝者。この鐘の音に呼ばれ、物故親族のお精霊(しょうらい)さんが傍に帰ってくるという。
強烈な暑さ・日射しのなか、自転車にて迎え盆行事「六道まいり」の地、六波羅に向かうも、途中の祇園・清水界隈の観光客の多さに難儀する。こんな暑さでよく観光できるものだと感心さえした。しかし、暑い。もう陽が傾く時間だというのに、強力な暑気は減じる気配がない
最初に迎え盆参拝を済まさんと六道珍皇寺に入る。暑さの所為か陽がある所為か、境内は人が少なめであった
本堂の受付で亡き親族の戒名を水塔婆に筆書きしてもらい、迎え鐘を撞き、線香を供え(水塔婆を燻す)、石佛前に水塔婆を供えた。写真下に見える高野槙の葉で水塔婆を水拭きするのが作法である
迎え盆参拝後、付近の寺院にも参る。こちらは六波羅蜜寺。どこも迎え盆参拝が行われているが人は少なかった
こちらは西福寺。旧五条通である松原通と六波羅蜜寺前の道が出合う丁字部分「六道の辻」にある六道まいりの中心地。前の2寺と比較すると小さい寺だが、地獄絵や九相図といった無常絵の公開で知られる。六道の辻が古代葬送地との境にあったことを今に伝える貴重な存在である
ただ、今年は西福寺で無常絵の展示はなく、以前は上れた一部の部屋にも入れなかった。どうやらコロナ禍以降公開を中止しているようである。その為もあるのか、いつもは人で埋まる境内もこの通りの閑散であった
六波羅の諸寺参拝後、少し足をのばして五条坂の陶器市を覗く。このように、そこそこの人通りはあったが、店数の減少ぶりに驚く。インバウンド地上げによる窯元消失や社会変化が原因とみられる。無事迎え盆参拝は成ったが、色々と寂しさを感じさせられるものともなった
2024年07月21日
後祭三宵
夜祭再び
先日「宵宵宵山(よいよいよいやま)」に出掛けた祇園祭・前祭(さきまつり)は17日の山鉾巡行を以て終った。そして、入れ替りに同「後祭」が始まった。
今日は、先日同様、鉾建てや曳き初めが終り本格的に夜祭が始まる、後祭・宵宵宵山の日であった。玄関粽(ちまき)更新のため、暑さが少しマシになった夕方、鉾町へと出かけた。
上掲写真 2年前、実に約200年ぶりという奇跡の再建復活を遂げた鷹山。前に置かれるのは日和神楽用の組立屋台。巡行前夜の宵山時に、翌日の晴天祈願のため囃子方が祇園社(八坂社)御旅所に赴く際に曳く、太鼓・提灯屋台である。
本来は古い粽を返し、新しいものを買ってすぐ帰るつもりだったが、意外と涼しい風も吹いてきたので暫し観覧することにした。これは鉾町・民家で行われる家宝披露。所謂「屏風祭」で、町家表側の「みせの間」に飾られた舶来絨毯等を通りから自由に見学できる。祇園祭の隠れた楽しみだが、マンションや商業ビル増加で最近減ってきている気がする
これは間口が広い大型町家に於ける屏風祭の様子
上記大型町家の二階観覧席に置かれた古い絨毯。図柄的にチュルク段通(トルコ系)のように見えるが、如何に。ただ、これは見せるものではなく、明日の巡行の際に賓客や当主のための手すり飾りかもしれない
これもまた別所の屏風祭。祭自体と共に末永く続いてほしい伝統である
鉾町を渡り歩く途中、貴重な町家の断面を発見。隣の更地化により、通常外からは見えない縦方向の建屋配置や構造が観察できるようになっていた。特に目を惹いたのが、この町家が古式を保っていたからである
それもその筈。この町家は祇園祭・放下鉾の会所(かいしょ。祭事運営拠点及び資材保管所)で、幕末築の文化財町家であった。この様に間口は広くないが、その奥深さは前掲画の通りであり、正に「うなぎの寝床」の呼称に相応しい姿である。分厚い無垢板で葺かれた下屋も珍しく、古風
これは後祭唯一の四条通以南に在る大船鉾。鷹山と同じく、10年前に150年ぶりの再建復活を果たした。素晴らしい
これは四条通の月鉾会所。前に置かれる巨大な鉾は17日の前祭終了で解体されたが、祭幕や提灯を飾り、恰も後祭を応援しているように見えた
鉾町を巡る内に日が傾き、提灯明りが良い頃に。これは橋弁慶山。小型の「山」であるが、巡行籤取らず先発の別格的存在
これは橋弁慶山近くにある会所二階に飾られる弁慶と牛若丸の像。巡行時には五条大橋を模した豪華な黒漆・金金具の橋と共に曳山上に置かれる。即ち、彼らのあの伝説的橋上の戦いが山上で再現されるのである
宵の口の空に映える鷹山の提灯明り
さて、すっかり夜風情となり、また風も止まって暑くなってきたので、帰ることにした。勿論、粽は更新して。
暑いが、真新しい粽の香りが爽やかで、心地よい。
2024年07月14日
前祭三宵
夜祭初日
生憎の曇り空ながら、黄金色の身を確り天に掲げる新月の錺(かざり)。さて、これは……。
それは、祇園祭・山鉾の、鉾頭の錺金具であった。今日は、今年も愈々(いよいよ)始まった同祭「前祭(さきまつり)」の宵宵宵山の日。地元以外あまり馴染みない宵が三つも重なるその日は、祭の最高潮たる山鉾巡行の3日前の晩を指す。歩行者天国や露店はないが、鉾建てや曳き初めが済み夜祭が始まる記念すべき宵であった
これは、冒頭画像の新月錺を頂部に戴く月鉾。大路たる四条通に鎮座する最大級の山鉾で、別格的存在。そんな特別感の所為か、粽(ちまき)などの授与品は早々に売り切れていた。宵宵宵山は他所にあまり知られていないため人が少ないと思いきや、かなりの混雑に見舞われる。やはり連休の所為か。いや、外国人も多いので、いつにない混雑に感じられた
夜祭には各山鉾の色々な祭事が行われる。勿論、神事の一環だが、これは中世以前に起源をもつ鷺舞の列。正規の祭事ではなく、近年復活を果たしたものらしく、初めて観たが興味深かった。このあと、白楽天山の会所付近で独特の舞とお囃子が演じられた
これは綾傘鉾の有名な棒振囃子。棒振演者が蜘蛛の糸(紙)を投げた瞬間である。和紙の先にある錘を偶々得る。京都では御守になるとされている縁起物のため喜ばしい。先程落ち合った外国の友人も偶然得たらしく、更に良し。宵山に変らぬ様々な催事が観覧でき、何よりであった
夜の船鉾。途中雨が降ったが、日が暮れて提灯明りある良い風情となった。去年よりマシながら暑さはあったが、今年も友人共々楽しく参観出来て何よりであった
2024年06月08日
参観相伴
久方ぶりの山中参観
両脇に緑あふれる進路上に現れた、一風変わった姿の隧道口(上掲写真)。見覚えあるそれは、以前訪れたことがある隣県滋賀山中のミホミュージアムの通路隧道であった。
受付棟と展示棟を繋ぐ道上にあるこの隧道は、パリ・ルーブル美術館のガラスのピラミッド設計で知られる華系米人建築家、I・M・ペイによる桃源郷の入口を意図したもの。中華庭園の円門を想わせる造りである。
実に7年ぶりとなる今回の訪問は、ここに来ることを望みながら未だ来たことがない友人一家を案内するため。道案内を兼ね車輌に同乗して訪れた。
そして、近未来的な金属貼りの隧道向こうには東洋風ガラス屋根を持つ展示棟(美術館棟)の入口が見えてきた。以前は電気自動車で通った道だが、今回その利用は身障者に限定されていたので、歩いて向かう
ミホミュージアム企画展室前に掲げられた「古代ガラス展」の掲示
皆で展示棟に入り、企画展室に向かう。今回は別の友人の好意により事前に人数分以上の招待券を頂いていた。開催中の企画展は古代ガラスに関するもの。主に、ガラス先進地の中東・中近東出土遺物が展示されていた
今回の特別展で紹介掲示や印刷物の画像に採用された、象徴的遺物のソーダ石灰ガラス碗。前2世紀から同1世紀頃に東地中海地方で生産されたものらしい。銀化(白化)の合間から覗く七色が魅惑的で、古代の人もさぞや驚いたであろうと思われた宝物。撮影可能展示物かつ可能時間のため撮影
ミホミュージアムは標高の400mの高所にあるため、美術館棟前の森もまだ新緑の色合いを残していた
意外な見応え
他所は次回に
各地域・各時代の展示物を一つひとつ鑑賞し、その後、常設展である世界の古代美術を鑑賞して参観を終えた。
今回は友人一家をここに案内することが目的だったため企画展には殆ど期待していなかったが、意外にも量的・質的に見応えがあった。
その分、付近での食事機会を逃し、更に帰路寄るつもりの近くの茶産地・朝宮やその隣の宇治田原に行く時間がなくなってしまったが……。
まあ、有意義な参観だったので、今回はこれで良しとし、その他はまた次回の楽しみにすることにしよう、と言い合い、皆で納得した。
そして山を下り、麓の滋賀東部市街で軽食兼休息後、帰京した。皆さんご協力有難う、会期終了間際のため急ぎ券を送ってくれた友人共々、感謝!
2024年04月06日
降桜茶会
予想通りの週末に
先日の予想通り、その後風雨があったものの、開花した桜は持ち堪え、今週末の満開を迎えた。
今日は午前の用を片付けたあと、午後からとある催事に向かう。
場所は京都市街東部の丘上にある金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)。「黒谷(くろだに)」と通称される、その広い境内の一部を成す、塔頭(たっちゅう。子院)の一つであった。
そして、潜る黒谷の山門前後でも、写真の如く、満開の桜に出迎えられたのである。
山門後方の黒谷最古の建造物・阿弥陀堂裏から眺めた、金戒光明寺東部境内。こちらも花盛り
はっきりした参集時間を知らされていなかったが、前の用が押しため遅刻を疑い恐縮気味に到着。しかし、まだ準備中で、しかも遅れる、との応対を受ける。よって、時間消費のため写真の真如堂(真正極楽寺)に立ち寄る。黒谷裏手の、丘続きの場所である。こちらも、まさに花盛り
緋毛氈ならぬ紅絨毯上に置かれる、花見茶会用の諸道具
桜降る恒例行事
さて、黒谷に戻り、催事に参加する。それは、野点茶会であった。
正確には「花見茶会」と呼ばれる、毎年の恒例行事で、主宰の塔頭は、以前からお世話になっていた茶道家元でもあった。
そして、「遅刻した」との思いとは真逆に、一番乗りとして、接待初回の正客(しょうきゃく。主客)を指名されることに。
気さくな薄茶会だったが、ブランクが長かったため重ねて辞退したが、「気にしなくて大丈夫」との、宗匠直々の言により、仕方なく務めることに……(苦笑)。
亭主横の枝垂桜を前に、そして上座の山桜を背にして行われる黒谷の花見茶会。空は生憎の薄曇りだったが、これが淡い雰囲気を醸して良かった
懐紙上に残る、頂く前の二個目の桜菓子。周りに散る花弁は背後の山桜から自然と降り落ちたもの
春の至福に感謝
風もなく、暖かい好条件のなかで茶会は進む。演出を疑うほど良いタイミングで降り注ぐ桜花弁のなかで。そして、美味しいお菓子や薄茶を頂く。
まさに、春の至福――。
世界中の人が、こんな平和を味わえる日が来ますよう。
宗匠を始め、先達方々、そして手伝いの皆さん等々、素晴らしい春日(しゅんじつ)の提供に感謝!
2024年02月18日
新旧観屋
古家吟味
今日は終日雨予報だったが、朝から友人の家探しに付き添う。
古家研究家でもある為の個人的興味と、そうした物件に纏わる知識や経験、住民の土地勘等を欲した友人の希望に合致した為の同行であった。
そして、既に彼が内見予約を入れていた古家や、その他の物件を巡る。付近の町並みや自然等を眺めつつ……。
友人の好みにもよるが、見廻った物件には、増築や傾斜地等の微妙な物件が多い。しかも、その割に価格が高い。それは、以前の価格や実質価値の倍以上か。
首都圏の余り金や海外からの退避資産の流入が相場を強気にさせているのか。景気なぞ何も良くないのに株価や駅近マンションのみ上昇する昨今の状況と同じ動きに感じられた。
とまれ一件ずつ危害確率や可能性等を話し、また様々を論じ合う。総じてクセモノが多いが、中には命に関わる立地にありながら、材料や造作等の良いものが見られるなど、意外の発見もあった。やはり古家は興味深い。
上掲写真 記載の古家とは対極にある、新しく美麗な室内に飾られる草花や茶器。よく見れば、花は本朝の生け花風だが、茶器は舶来品か。この場所については、また後ほど……。
白バイ隊を先導に現れた、2024年・京都マラソンの先頭走者
迷惑催事?に阻まれる
午前の内見が終ったあと、友人が朝食を摂ってなかったこともあり、喫茶軽食でもしようとしたが、なんと表通りが封鎖されている。
実は今日は「京都マラソンの日」。雨でも決行するようであった。
目当ての喫茶店が道のすぐ対面にあったが、渡ることは許されず、数百m離れた横断場所まで回れと言う。先頭走者が来るまでまだ30分以上前だったため呆れる。そして、その割に、関係者は自在に横切っている。
京都市街の交通を朝から夕方まで乱すこの京都マラソン。市街在住または勤務する人にとって「京都最大の迷惑イベント」として嫌う人は多い。
私も開催自体に文句はないが、多勢の生活を巻き込む市街開催には反対である。郊外や河川敷または専用路等でやって欲しい。
さて、催事の強行や融通の無さに怒る私とは異なり、以前大会参加も考えた友人は、先頭集団が見たいと言い、道端に張り付く。その為、沿道の人気うどん店前に並びつつ、暫し先頭走者らを観覧することとなった。
新屋参観
その後開店したうどん店に2番手で入り、食事を済ませる。麺は手打ちで良かったが、節が強い出汁は近年の流行りというか、挑戦的な若者風で、本場四国もの等より過剰な気がした。また、値段が高めなのも気になった。
さて、その食後一旦帰宅して昨日の山道具の片付け等を行い、また待ち合せて午後の内見へ。それが終り、向かったのが、写真の施設であった。
ん?「茶ノ路」? かつて雲南と西蔵を結んでいた茶葉古道のことか?
その謎めいた施設は、これであった。京都市街東部の「哲学の道」沿いにある、真新しいギャラリー(画廊・展示場)である。ガラスや金属に木造を組み合わせた斬新な建築で、大きな段差ある狭小地を上手く活用した手本のような存在であった。昨秋に開業して以来気になっていたが、なんと、同行の友人の知人が責任者のため、立ち寄ることにしたのである
「茶ノ路」は大陸・上海の同好結社「茶之路」を基とし、その支所的な存在であった。茶文化を探求し、その発展を図る活動をしており、ガラス張りのその展示室では、内外の関連器物作家作品の展示会が行われていた
同じく、茶ノ路の展示室内。哲学の道とフラットに接続しているように見えるが、実は敷地面から中二階的高さの場所に床がある。そうした工夫にも感心するが、ほぼ全ての壁がガラスと鉄棒で造られていることも興味深い。自然との一体を表現したのか。ガラス壁には要所要所で開閉できる掃き出し窓があり、冷暖房は床の円形スリットから供されるという実用性も
茶ノ路の展示室に入り暫くすると、奥の出入口から二人の女史が現れた。友人の知人であるYさんと日本人スタッフのSさんである。友人は親しく彼らと話し、そして、共々奥の木造棟に招き入れられた。短い階段を上がったそこは、展示室とは異なり、天井の高い、広々とした空間であった。応接や催事場として使われているようである。暫し各部を見学させてもらう
後部の中庭に面した大窓を持つ茶ノ路・木造棟の広間
同じく茶ノ路・木造棟の広間。右端部分で、下階に下る階段がある
抜かりなく、気概ある存在
下階も見学させてもらったが、同じく広間があり、寝室や風呂・キッチン等があった。それは建物オーナーの滞在区域とのことであった。茶ノ路はそのオーナーから建屋を借りて運営されているようである。
その他、応接広間から更に階段を上がった中二階(三階とすべきか?)も見学。そこは哲学の道に面した露台となっており、桜や紅葉の時季には一等席となるべき場所であった。
それにしても、木材や金具、コンクリート壁に至るまで、全てに抜かりない素材や技が用いられている。オールインワン(機能完備)の狭小住宅好きの身としては、羨ましい限り。
実は最初にこの建屋を見かけた時から日本人が意図したものではないと思っていたが、正にその通りであった。そう思った理由は、昨今の日本人なら、たとえ資金を有していても、この様な立地に、これ程のこだわりを投じないからである。つまり、気概に欠けるのである。
それ故、私は当初から、この小さいながら気概に満ちた存在を高く評価していた。その為、自身が監修する今春開催予定の催事場の候補としていたのである。友人がここと繋がりがあることを知ったのはその為であった。
自身の催事については主宰の意思もあるため、まだわからないが、この様な建築・場所が京都の隅に現れたことを地元民として大いに歓迎したい。
茶ノ路・応接広間での中国岩茶接待
大陸式「喫茶去」交流
さて、色々と建屋内部を見学させてもらった興奮のなか、Y女史の「まあお茶でも」という一言で、茶や点心(お菓子)を頂くこととなった。
岩茶と紅茶のどちらかを訊かれたが、お任せして岩茶を頂く。それは、これまで経験したことがない香りと味であった。また、そうした茶を何杯も頂きながら、よもやま話にも花が咲く。
正に「喫茶去(きっさこ。茶道・禅用語)」の交流か。しかも、その故郷たる大陸式の……。
そして、友人から小生主宰の山会(やまかい)の話を聞いたYさんらから、是非気になる裏山・大文字山を案内しててほしいと頼まれ、後日日程を調整する約束にも発展した。
茶ノ路の応接広間・東窓(哲学の道側)と、そこから見える、山の樹々に紛れる法然院等の山腹家屋
新旧の出会い、僥倖に感謝
話に花が咲き、つい長居してしまったことを詫びつつ、茶ノ路を後に。
そのあと、友人と共に、彼が希望する梅や夕陽を見に行くため、高台の地を巡り、日没後、解散した。
今日は新旧の建屋見学や新たな出会いが重なり、実に有意義な一日となった。友人を始め、関係者皆さんに感謝!
京都市街東部の高台にある寺院の梅。明日辺りにでも一気に開くか
今日も20度近くまで気温が上がる季節外れの温暖となったが、その所為もあってか、方々で梅の開花が見られた。
ん?
そういえば、今日一日雨の筈だったのに結局一滴も降らず。まあ、これも僥倖と言えようか……。
2023年11月19日
飛閣秋覧
今日の表題写真は、済んだ秋空に黄葉を広げる銀杏。
背後の大門や土塀からすると社寺境内に見えるが、果たしてここは何処であろうか……。
その答えは、これ。京中に巨大木造堂宇を対で並べることで著名な本願寺で、そのうち桃山遺構を保つ西本願寺であった。今日は、今ここで開かれている桃山期を代表する建築「飛雲閣」の特別公開を覗いた
西本願寺・御影堂(ごえいどう)前境内からみた塀越しの鐘楼と飛雲閣
「それにしても」の特別公開
しかし、特別公開は飛雲閣前の苑池対岸から眺めるだけで、撮影も禁止されるという、限定的で期待外れのものであった。
勿論、飛雲閣自体は繊細優美な日本建築の粋を集めたような名建築で、その外観見学だけでも価値があったが、それなら以前観たことがあり、しかもその時は撮影可能ですらあった。
今回、私は文化財関係者から頂いた招待券を用いたが、これで拝観料1000円は高く感じられ、実際、怒っている参観者もいた。
事前の報道では建屋入口階段に敷物が置かれた映像があったため内覧可能と思っていたが、報道用だったのか。それならサイト等で確り説明しておくべきであろう。
庭に立つ係の女子にそのことを伝えると、各部の傷みのため内覧には耐え難い状態の旨を聞いたが、それにしても、の状況であった。
結局、近くで観られたのはこの鐘のみ(境内茶所にて常時無料公開。撮影許可取得済)。飛雲閣と同じ公開敷地内にある桃山建築の鐘楼に嘗て懸けられていた鐘である。平安末の貴重なもので、宇治・平等院の鐘と同時代・同工房製とみられている。飛雲閣も、内覧は無理でも、せめて近くで観られれば良かったのだが。是非、次回の企画としてお願いしたいと思う
何やら収まりがつかないので、御影堂の軒廊より再度飛雲閣を観てみた。左端に建設当初物議を醸した昭和の高楼・京都タワーが見えるのが面白い。そういえば同タワーも個人的好みの建築家山田守氏の晩年作であった
同じく西本願寺・御影堂軒廊よりみた飛雲閣。2層目と3層目を望遠撮影したものである。三十六歌仙が描かれた板戸が見えるが、その他の障子や雨戸も閉じられたまま。以前観た時は夜間だったが、障子に明りが灯されていた分特別感があった。しかも、あの時は書院等の内部も共に拝観出来た
2023年11月12日
寒到観覧
遂に冬来る?
賑わう岡崎へ
写真は、午後から出掛けた京都市街東部にある市立美術館。
昭和8(1933)年築の古建築ながら、近年、地元著名企業に運営をゆだねて大改装された展示施設である。
見ての通り、和洋折衷の姿で、昭和初期に流行した日本独自の建築様式「帝冠様式」による建屋。洋風の、近世城郭ともいえる姿が、その特徴であった。
予報通り、一昨日の雨を境に気温が下がり、今朝は今季初の10度以下に。遂に冬が来た観があったが、3日前までほぼ夏日の暑さだったので、その極端さに身心共々困惑させられた。
更に今日は、昼過ぎに雨もあり、厚い雲の下、見た目にも寒さが印象付けられる一日となった。それでも、美術館を含め、動物園などが集まる、周辺の岡崎地区は、休日を楽しむ多くの人で賑わっていた。
そして、美術館の玄関脇にも、何やらいつもは無い天幕が連なり、人が集っている……。
天幕列の横、即ちその入口には「90th」と記された、この様な門があった。それは、京都市美術館が今年で開館90周年であることと、その催事が開かれていることを示していた。特設の天幕下では、記念の飲食店等が設けられていたのである。今日は記念催事の一環で、所蔵品を展示する「コレクションルーム」が開放されていたので、訪問したのであった
巨匠、伝統画人から近代作家へ
京都美術館にはもう一つ用があった。それは、写真の竹内栖鳳(せいほう)展。コレクションルームとは別の特別展として同時開催されていた。
券を頂戴していたので、まとめて観覧したのである。
竹内栖鳳は戦前の京都画壇の重鎮。これは、その代表作の一つ「絵になる最初(重要文化財。撮影許可作品)」の、下絵と本絵の比較展示である。
これも栖鳳作品の「雄風(撮影許可作品)」。最晩年の大作で、彼が達した独自画境を遺憾なく表したもので、個人的にも好みの作品。これも下絵と本絵の両展示だったが、カメラの画角に収まらない為、本絵のみとした
竹内栖鳳の作品はこれまで何度も見てきたが、今回は渡欧前後の作風変化を知ることが出来たのが収穫であった。
それは、画力ある伝統的日本画家から、当時最新の欧州芸術に影響された近代画人と化す「変貌」の発見でもあった。
半信半疑の寒さ
美術館参観を終え帰路に就く。雨が止んでいたので、付近を散策しつつ。
最高気温は15度に届かず、数日前より10度も低い。暦柄このまま冬に入りそうだが、あれ程暑さが続いたので、正直まだ半信半疑の心地であった。
2023年10月22日
史祭初見
動く歴史絵初観覧
鮮やかな大鳥居前を進む武者行列を捉えた写真は著名な時代祭の様子。
京都及び平安京の誕生日とされる今日10月22日(新暦換算では本来11月18日)に毎年京都市街で行われる秋の恒例祭事で、夕方覗いてみた。
時代祭は平安京遷都1100年を記念して明治28(1895)年に始められた祭事で、遷都当初から明治維新までの京都首都機能期に同地で活躍した人物や集団に仮装した市民が市街を行進する祭。いわば、動く歴史絵巻である。
その行列は、総勢約2000人による約2kmの長さを擁し、正午に市街中心の京都御所を発ち、16時頃に市街東の平安神宮に到着するという、大規模かつ絢爛なものであった。
私はその終盤たる平安神宮前にて観覧することにしたのである。京都の祭としては比較的新しいこの時代祭。葵祭や祇園祭と共に京都三大祭の一つとされるが、実は意外にも、これまで観たことがなかった。
それは、日が固定されていて、今回のように週末に当ることが少ないことや、前近代に遡るような歴史的祭ではないこと、装束考証等への疑いなどから、然程興味を持たなかったためである。
本来、今日も行くつもりはなかったが、前日知人から誘いめいた問合せがあったことや(結局知人は行けず)、偶々時間が空いたことなどから、折角の機会なので一度見ておこうと思って出かけた。
上掲写真 大鳥居を背に終着地・平安神宮に向かい神宮道を進む「織田公上洛列」。時代ごとに区切られた行列の内、桃山時代の一部を成す一群。
参観を決めたとはいえ、恐らく混雑で観れず、すぐ帰る覚悟もしていた。しかし、終点際の観覧一等地・平安神宮前に着いたが、道際こそ、このように人が多かったが、贅沢を望まなければ観れない状況ではなかった。ひょっとして出発直後の御所辺りに集中し、終盤のここはマシとなったのか
行列先頭には間に合わなかったが、比較的前の江戸期列から観ることが出来た。これは「徳川城使上洛列」の「城使」。時代列は新しい維新列より進む。しかし、ここは樹影がかかるので、道対面の東側に移動した。最初の画像はそこへ移ってからのもの。ただ、東側は反対に陽が眩しかった
時代列のなかには、歩みを止めて踊りや演奏を披露する一団もあった。これは中央の「風流傘」を中心に囃子方の「中踊り」と踊り手の「側踊り」で構成される「風流踊(ふりゅうおどり)」。「室町洛中風俗列」の主部で、中世、都で流行し、全国に伝播した民俗芸能を再現している
そして行列後方では、トリ的な「神幸列」が現れた。正確にはこの後にまだ「白川女献花列」と「弓箭組列」があるが、平安神宮の神で祭の神である孝明天皇(前)と桓武天皇(後)の御霊代(みたましろ)を乗せた御鳳輦(ごほうれん)の列なので、重要である。そう、時代祭は同じく平安遷都1100年を記念して明治期に造られた平安神宮の大祭なのである
平安京の歩み感じる良祭
神幸列のあと最後まで観覧し祭参観を終えた。身近な場で行われてきた著名大祭ながら初めて観たが、平安京の歩みが感じられる良い祭であった。
希望としては、演者の年格好も合わせてほしいと思った。衣装や小道具の時代考証は厳密らしいが、その分、演者の姿が気になったからである。
とまれ、機会あれば、次は是非御所にて初めからみてみたいと思った。
2023年07月20日
暑中観祭
久々の参観
7月3連休の最終日――。
早暁より気温が高く、更に上昇を続ける朝の京都市街に、抜身の長刀(なぎなた。薙刀)が夏空高く突き立てられる。
今日、7月17日は京都市街中心地で祇園祭の山鉾巡行が行われる日であった。昨晩その前夜祭たる「宵山」に接したが、折角なので、久々に巡行も参観することにした。
上掲写真 竿(真木。しんぎ)先で天を突く、祇園祭巡行の先発山鉾「長刀鉾(なぎなたぼこ)」の大長刀。元は平安末の名工・三条小鍛冶宗近作の名刀を用いたという。巡行先頭で目に見えぬ悪疫を切るように据えられたその様は、疫病退散神事を起源とする祇園祭を象徴する存在である。
昨夜は宵山参観で帰宅が遅く、また就寝も遅かったので、今朝は巡行開始30分以上後に現地着する出遅れとなった。それでも、後方の交差点を狙ったので、まだ先頭の山鉾を見ず、結果的に間に合った。
しかし、沿道の人出は多く、日陰の歩道際等には二列以上の待ち人で占められていた。そして、次々と到着する後来の人により、人出は更に増す。故に、混雑で観覧し難い交差点付近から少し離れて山鉾到来を待った。
そして、待つこと30分程で現れたのが、写真の「祇園会(ぎおんえ)」の幟。祇園祭の古称・総称であり、巡行の先頭であった。距離の割に時間がかかったが、四条河原町交差点での最初の辻回し(山鉾の方向転換)に時間がかかっていたようである。
そして、幟のあとに一番手の長刀鉾が現れた。いきなりの御大登場に、山鉾の壮麗と迫力を感じた
山鉾の順序は毎年籤(くじ)で決められるが、別格の長刀鉾は「籤取らず」とされていて、毎回先頭をゆく。そして、その別格を象徴するように、地域縁の子供から選ばれた「生稚児」が乗る。現在稚児が乗る山鉾は長刀鉾のみで、巡行前に通りに渡された注連縄を切る役割ももつ
目の前を過ぎた長刀鉾は程なくして御池通の交差点に入り、「辻回し」で方向転換を行う。水をかけた竹板上を綱をもつ曳き手らが数回滑らせて90度転回する。巡行の見せ場である。これは既に60度程回った状態
長刀鉾のあとは籤順通りに曳山が続く。これは人が担ぐ舁山(かきやま。現在は車輪付)の一つ「白楽天山」。日本の詩歌に多大な影響を与えた中唐詩人・白居易(白楽天山)と、問答で彼を感服させた鳥窠道林(ちょうかどうりん。道林禅師)の二神像等が置かれている
白楽天山の懸装品の一つ、古い胴掛。近年購入したものらしいが、貴重な18世紀製のベルギータペストリーが使われている。20年くらい前まではどこの山鉾も江戸期そのままの懸装品が使われていたが、最近は保護のため複製に替えられることが多いので貴重である。なお、同山の前掛には16世紀のベルギータペストリーが使用されていたが、今は新調の複製が使われている(これも本式で製作されたので素晴らしいが)
2023年7月17日の正午過ぎ、河原町御池交差点南に現れた月鉾
堪らぬ暑さ
さて、目の前には順次山鉾が現れるが、時間が進むにつれ気温も高まり、また南北の通りにいたため日陰も減少した。実は、今日午後から37度超の猛暑が予報されていた。
辛いので早く引き上げようと思っていたが、せめて小時より実家と縁があった月鉾を観てからにしようとするが、これが中々来ない(笑)。山鉾中最大かつ最も重い鉾にもかかわらず、籤取らず等の優遇は与えられないのか。
そして漸くそれが現れたのは、殆ど日陰も失せた12時過ぎのことであった。恐らく、気温は既に35度を超えているかと思われた。梅雨時の所為か、湿度も高い。暑くて堪らないが暫しの辛抱である。そういえば、周囲の人も格段に減っていた。
大きさだけでなく、全山鉾中、最も豪華とされる月鉾の屋根飾りや懸装品の数々。但し、稚児は生身ではなく、稚児人形が乗せられている
河原町御池交差点南を進む巡行中の月鉾の胴部(側面)と、楼上で演奏する囃子方。月鉾の懸装品もほぼ全て新調されているようにみえた。胴掛の絨毯はムガル(前近代インド)製らしいが、重い色調と硬質の図柄からバローチ製とも思われた。それは、ペルシャ(現イラン)と西インド(パキスタン)南部に住むイラン系住民による名品である
巡行参観は良し
暑さには注意
月鉾が去り、まだ鉾が続いたが、退散することに。帰路欲張って遠方で買物して戻ったが、体温超の暑さに見舞われ、自転車使用ながら少々気分が悪くなった。
久々に巡行参観が出来て良かったが、まだ身体が慣れぬ危険な暑さには要注意との教訓も得たのである。
2023年07月16日
祭夜逢友
特別な夏の週末
京都四条通西入ル(交差点西側の意)、午後8時過ぎ――。
写真で見る如く、歩道を含めた大路全てが凄い人波で埋め尽くされている。本来行き交っている自動車やバスは、一体どうなったのか……。
その答えは、路端に駒形提灯を灯す山車の姿にあった。そう、祇園祭の山鉾飾り。今日はその前夜祭で、山鉾の巡行前日に当る「宵山」であった。存知の通り、それは一月続く祭夜で最も盛り上がる一夜であった。しかも今年は三連休の只中という好条件。必然、人ごみも増していたのである
祇園祭宵山の晩に山鉾上で伝統の祇園囃子を演奏する月鉾囃子方
空前の昨年超す恐れ
コロナ禍から祇園祭がほぼ復活した昨年の宵山は、なんと80万人という空前の人出が記録された。しかし、それでも当時は厳しい入国制限があったため、国内客が多くを占めた結果であった。
因って、昨年より曜日条件が良く、入国制限もない今年はそれ以上の人ごみが予想された。その為、本来は参観するつもりはなかったが、海外の旧友が来ていたので、今回は付き添いとして出掛けた。
四条通の山鉾の一つ「四条傘鉾」では、この様な風流踊も披露されていた。皆子供にもかかわらず、夜遅くまでご苦労様である
やがて、夜も更け、宵山の最後を締めくくる「日和神楽」が路上を進む。それは、祇園囃子を奏でながら各鉾町から祇園祭主神・八坂神社御神体が仮遷座する四条御旅所に集い、明日巡行時の晴天を願う神事であった。これは岩戸山のもの。それにしても、遅い時間ながら未だ多くの人出を見た
意外の結果
そして、我々も鉾町を出て帰路に。外れの御池通には写真の如く、明日の巡行観覧席が整然と設置されていた。監視者や警備員が誰もいないことに、外国人の旧友が感心することしきり。
さて、後に今年の宵山の人出は34万人と発表された。意外にも去年の半数以下である。当初の私の如く警戒して避けた人が多かったのか、または連休を別用に当てたり、猛暑の暑さに参ったりしたのであろうか……。
2022年11月28日
晩秋大観
第42回日本盆栽大観展最終日
週明けの今日午前、少々展示鑑賞に出掛ける。
向かったのは、京都市街東部にある京都市勧業館「みやこめっせ」で今日まで行われている「日本盆栽大観展」。
毎年この時期に行われる恒例展示で、解説役の盆栽研究家・川崎仁美さんから招待を受けていた関係から私にとっても恒例行事的な展示であった。
上掲写真 日本盆栽大観展出展の受賞盆栽展示の一部。夜空に浮く朧月の画軸と合わせ、深山孤高の情景を成す秀作。
みやこめっせへの途中、東山山麓は「哲学の道(琵琶湖疏水分線)」の紅葉も視察。ここは午前に陽が入らないが、紅葉は見ての通り良い具合に
そして京都市勧業館「みやこめっせ」に到着。かの平安神宮の近くである
勧業館に入館し、みやこめっせ1階の第42回日本盆栽大観展会場へ。平日午前とあって、人は少なめ
先ずは、入口傍の個別ブースにある、大観展の大トリ的存在「内閣総理大臣賞」作品から
それは、盆栽の王道たる真柏による豪壮な作品であった。正に王者の貫禄
こちらは今時分らしい姿を誇る、鮮やかに紅葉した山紅葉(楓)作品
こちらは今日の表題写真作品。自然をよく知る人が、同じく自然をよく観察する人に提示したような交流的作品
こちらは柿の実のある作品。同様のものはよくみられるが、小さな鉢で高木の生命感を表現した技巧的力作。足下に自然な落葉があるのも、それを補うようで、良い
盆栽は自然の姿を写すことが目的の一つとされるが、この蝦夷松作品はその思想を濃厚に示す典型例といえよう。深山の小頂や森なかでこのような景と出会った記憶を持つ人は多かろう。斯いう私も、先日登った甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根上で遭遇した森を思い出した
盆栽以外の気になる展示
盆栽以外で今回特に気になったのは写真の水石(すいせき)。「白雲」と銘打たれた、瀬田川虎石という珍しい石材を用いた出展物である。非宝石鉱物ながら、大変美麗で、正に名石と呼ぶに相応しい物であった。
川崎さんから聞いたところ、水石は自然環境中で得ることが難しく、川底を掘削するなどの多大な労力と鑑識眼が必要という。
これも気になった展示物。古い盆栽鉢で、平安東福寺という陶工によるものだという。以前手がけた仕事の関係で、京焼をはじめ、古今東西の焼物にはある程度造詣があるが、その人物は未知であった。写真が残るので、近代以降の人らしいが、盆栽関係には著名な存在のようである。鮮やかで透明感がありながら沸え(にえ)がある青釉が独特で美しい。器胎造形や装飾意匠にも優れ、盆栽鉢に限らず、一流といえる作陶ぶりであった
鑑賞終り冬の気配きく
番外編からまた盆栽へ。先程の盆栽群と違い、写真のように背景が明るい色で簡素になったが、これは主要賞以外の入賞作のため。
それでも、写真作品の如く、絶妙な枝ぶりの優品がみられた。量感ある樹体に対し、根を見せず土から直立させる様にも技術の高さが窺われる。
こちらは石(珪化木?)に寄り添う皐月の作品。巨岩傍に自生する高木を想わせるような独創的盆栽。または生樹と化石を対比させる哲学的表現か
今回も盆栽等の諸作品を十分鑑賞し、観覧を終えた。折しも紅葉も終盤。今日で大観展が終ると程なく年末12月、いよいよ冬の始まりである。
2022年11月23日
彩雨参観
急遽展示参観へ
11月第2の祝日、勤労感謝の日。晩秋の時期ながら比較的温暖な日が続くなかでの到来となったが、生憎、全日雨予報で、朝から降っている。
そもそも家で少し仕事や家事をしていたが、今日ある展示が最終日であることに気づいた。それは隣県滋賀にある大津市歴史博物館開催の「大友皇子と壬申の乱」展。
博物館関係者に問われ、観たいと答えて招待券をもらっていたので、無駄にする訳にはいかない。荒天で車輌や山越えで行くことが叶わず、入場料以上に交通費がかかるが、仕方なく、急遽午後から向かったのであった。
写真はその途上通過した永観堂門前の様子。生憎の天候ながら、名物の紅葉が盛りとなっており、大勢の人で賑わっていた。
この時はちょうど雨が小康の時機だったが、もしこれが晴天なら更に多くの人で賑わっていただろう。また、コロナ以前のインバウンド盛期なら、恐らく門前の通過すら困難であったに違いない。
同じく永観堂。折角なので、門を潜って境内の紅葉具合を確かめてみた。門前のみならず、中も紅葉最盛期を迎えているようであった
同じく永観堂。南門内の池よりみた境内の紅葉具合。ここはまだ完全に色づいてないが、まあ美麗ではある。年によって全体が色づくこともあるので、今年は所謂「当たり年」ではないように思われた
こちらも永観堂南門内。生憎の空模様だが、紅葉の進み具合、色合いは申し分ない
こちらは同じく途中通過した南禅寺境内。三門北側の紅葉で、ムラはあるものの、ほぼ盛りの状態。冷たい谷風の通路でもある同寺は隣接する永観堂より例年色づきが早いが、今年は場所によりかなり進行の差が見られた
こちらも南禅寺境内。正確にはその塔頭の塀越しに覗く紅葉である。近づくとたっぷり雨に濡れている。これもまた趣があり、稀少で悪しからず
さて、途中紅葉見物をしつつ列車にて京都市街を脱し、幾つかの路線を乗り継ぎ滋賀大津の博物館に到着した。こちらも雨が上がった状態だったので幸いであった。大文字山背後となる長等山麓で、三井寺(園城寺)に隣接するここも紅葉が盛りであったが、残念ながら周囲を見る時間は無し
大津市歴史博物館の「大友皇子と壬申の乱」展は2階で開かれていたが、その広間からはこの様に琵琶湖と対岸の近江富士・三上山が見えた。あまり時間が無かったにもかかわらず特別展の他、常設展まで見ることが叶う。途中激しい雷鳴と降雨があり、それを遣り過せたことも幸いであった。肝心の展示も後の時代に大友皇子が弘文天皇と諡号されたり、その陵墓が決められたりする経緯が史料で明かされるなど、興味深いものがあった
そして、また来た路線を列車にて辿り、京都市街に戻る。途中、また永観堂の前を通ったが、今度は夜間拝観、即ち紅葉庭のライトアップが行われていた。小降りになったものの、まだ雨は続いている。それにもかかわらず、その美麗を求める参観者は多かった
永観堂境内の紅葉ライトアップの様子
その後、帰宅。往路も帰路も強い雨がなくて助かった。
こうして、生憎の雨天日ながら、盛りの紅葉を眺めつつ、興味深い展示も観ることが出来た良き一日となったのである。
2022年11月03日
祝日良展
意外の良展
予想外に内容濃い展示室を出ると、写真の如き夕景が……。
今日は祝日「文化の日」。そのこともあり、博物館関係者からもらった招待券で、京都市街東南にある国立博物館開催の「茶の湯展」を観た。
地味(?失礼!)な催事名で正直なところ期待していなかったが、なんと名物・名品のオンパレード。それは、侘茶・茶道を代表するだけでなく、日本史・美術史の教科書にも選抜される程の高位・稀少の品々であった。
例えば、室町公方の遺宝・旧東山御物の龍泉窯青磁(13世紀)や美濃志野焼の至宝「卯花墻(うのはながき。16世紀)」等々。個人的には北宋・徽宗(きそう)の「桃鳩図(12世紀)」や南宋・牧谿(もっけい)の「煙寺晩鐘図(13世紀)」等の舶来名画の出展に驚かされた。
その他茶道具・仏画・書籍・絵巻・屏風・墨蹟・書状等の名品が数多出展されており、私の知る限り定家の墨蹟を欠くくらいの網羅ぶりであった。
中々凄い企画である。入場者は少なくなかったが、もっと人気が出ても良さそうに感じられた。思うに、宣伝が足りないのか。入場料は昨今の傾向通り安くはないが、天下の名品揃いなので、損はしないだろう。
この企画。前期・後期で展示替えがあるらしく、前期は今月6日で終るが、私もまた後期展を是非観たいと思った。
とまれ、日本文化の核を成した茶のみならず、歴史・文化・芸術等を学ぶ内外全ての人に有益で観るべき展示と感じた、見応えある良展であった。
京都博物館の「平成知新館(左)」と「明治古都館(右。旧館)」の間に立つ「茶の湯展」の看板。上掲画と同じく閉館直後に撮影。今日実見してお勧めと化した新館開催の同展は12月4日日曜まで
2022年08月16日
盆火再開
送り火完全再開
地域にもよるが、今日はお盆最後の8月16日。
少なくとも、ここ京都市街では今日が最終日であった。最終日ということは、迎え盆でやってきたお精霊(しょうらい・しょらい)さんが帰るとされる日であり、迎え火ならぬ送り火をする日でもあった。
本来は各家庭で行われるこの送り火が、共催化・巨大化したのが、京都の「五山送り火」、俗称「大文字焼き」である。
この五山送り火。去年までは火床の数を減らすなどして新型コロナ対策を行っていたが、祇園祭同様今年は3年ぶりに完全開催されることとなった。
写真は、そんな送り火の準備を夕方麓から望遠撮影したもの。最も著名かつ大きな大文字山の「大」字の火床で、猛暑気温のなかで作業する大勢の関係者の姿が見えた。
よく見ると、夜の雨予報の所為か、各火床に積まれた薪組みが、何かで覆われているのも確認できた。なんとか、恙なくこの記念すべき完全再開が成功しますよう……。
ところが――。
ちょうど先日から京都に来ていた甥が観たがったので、近くで見せるつもりでいたが、なんと点火数十分前に猛烈な風雨が襲来し、観覧どころか、開催自体も危ぶまれる事態となった。
ネットの雨雲レーダーを確認すると、豪雨を示す真っ赤なしるしが五山がある京盆地北部を覆う。予報では短時間で通過しそうだが、次の豪雨がすぐ迫っており、ちょうど開催時間の20時から21時に影響することが確実視された。
残念ながら、これでは実施は無理であろうと思い、甥との参観は諦め、その滞在先に留まることにした。だが、台風並みの豪雨は奇跡的に第一波のみで消え、10分遅れで送り火が開始されることとなった。
よって、滞在先でのテレビ視聴ながら、無事送り火を見届けることが出来た。運の良さもあるが、関係者の準備や尽力という大きな貢献を思い知らされた、送り火再開となったのである。
2022年07月23日
雄姿一見
奇跡の復活、眼前に
今日7月23日は祇園後祭(ぎおん・あとまつり)の宵山。彼の祇園祭の後半祭で、山車(だし)が街なかを進む「山鉾巡行」の前日祭であった。
一旦は衰えたかと思われたコロナ禍がまたしてもぶり返し、流行第7波の警戒期となったが、祇園祭の山鉾巡行は3年ぶりに行われることとなった。
17日に巡行を終えた前祭(さきまつり)では、相当な人出があり、後祭も同様が予想され、感染懸念もあったが、196年ぶりに復活した「鷹山」という曳山観たさに、まだ人が少ない夕刻前に、さっと出掛けることにした。
写真は見事復活を果たし町内の路上に飾られた鷹山。曳山本体は勿論、立派な懸装品(けそうひん。絨毯等の調度品)や屋根下で他と遜色ない演奏を聴かせる囃子方に至るまで抜かりなく用意されていた。屋根周り等の白木の部分にも今後漆や金箔、金具等の装飾が加えられていく予定という。
これほどの装備や組織を復活出来るとは……。
相当な努力や熱意が必要であったろう。私がこの山の復活について知ったのは、再建の発起人かつ保存会理事長の山田純司さんの話をラジオで聴いたからである。
復活の開始は10年前だったらしく、正に「零からの出発だった」とのこと。資金や人材等々の様々な難問続きで、最後に新型コロナの襲来もあったが、どこか「神がかり的」な幸運により全て乗越え、今日に至ったという。正に、感動的復活劇であった。
そういえば、4年前の後祭宵山の晩、鷹山の日和神楽(ひよりかぐら)と遭遇したが、こんなに早く、この雄姿が見られるとは思わなかった。
感無量の奇跡的光景である。
鷹山復活に関する多くの報道の所為か、またはその感動的復活劇の影響か、比較的人が少ない時間の割に、鷹山周辺には多くの人だかりが出来、右側通行の規制すら行われていた
鷹山の屋根上に立てられた真松(しんまつ)の中には何やら置物が……。これは雉の模型らしく、鷹山のご神体である鷹匠が獲る鳥の中で、最も難しいもの、価値あるものであることを、関係者らの立ち話で聞いた
希望と感動に感謝!
人が多かったことと、このあと別用があったため、屋内の記念展示も観ず、短時間の見学で終ったが、中世以前に起源をもつという由緒ある鷹山の歴史的復活に立ち会えた。
こんなご時世に希望と感動を与えてくれた保存会理事長氏を始め、関係全ての皆さんに感謝。
夢の曳山再建及び巡行復活、おめでとうございます!
2022年05月21日
三所巡覧
小時以来の伝統芸能
今日は誘われて久々に観劇に行く。
その催しの名は、京都祇園対岸の花街・先斗町(ぽんとちょう)の「鴨川をどり(「を」は正称ママ)」。賀茂川(鴨川)西岸の先斗町歌舞練場で行われる、同花街の芸舞妓による歌舞音曲の舞台である。
それは明治初頭から続く催事で、賀茂川東岸は祇園甲部の「都をどり」等と並ぶ、春の伝統行事であった。歌舞伎に似た絢爛豪華な舞台美術や演出に、質の高い演技・演奏で知られる。
コロナ禍により大戦以来の休止となっていたが、今年3年ぶりに再開されることとなった。個人的には小時、在りし日の祖母の付き添いで行った以来の、数十年ぶりの観劇となった。
上掲写真 先斗町歌舞練場の劇場に吊るされる千鳥提灯。賀茂川河畔にある先斗町の花街施設らしい調度。開演前現場職員の許可を得て撮影。
観劇前の一大良展
どころが、今日は鴨川をどり以外にも見なければならない催事があった。それは、写真の「最澄と天台宗のすべて」展である。
開催は、祇園南の京都七条末(「末」は旧平安京外れの意)は京都国立博物館だったので、鴨川をどり観覧前の午前に出向いた。
京都国博の展示室は原則撮影禁止だったので、唯一許された天台総本山・延暦寺根本中堂「不滅の法灯」の複製展示を紹介。展名通り、最澄及び天台宗縁の書画仏像等の名品を集めた一大良展だったが、写真紹介出来ないのは残念。海外の博物館の如く、早く日本でも自由化してほしい処である
華やか且つ高水準な伝統行事
京都博物館の最澄・天台展をじっくり観覧したあと、一旦帰宅して昼食を済ませ、再び出掛ける。そして、三条や木屋町の繁華街を過ぎて現れたのが、写真の先斗町歌舞練場。
常滑風タイルで壁面を飾る昭和初期建築らしい外観ながら、随所に独自意匠が施される「街の顔」的存在。京風情を代表するような場所ながら、行政や人々の無策・無自覚の所為で近年随分古い建屋が無くなったが、通り奥にこの歌舞練場が現れる様だけは昔のままで、安心させられる。
歌舞練場での鴨川をどりも撮影出来ないので(これは致し方あるまい)、代わりに開演前の劇場の様子を。勿論、前掲写真と同じく、現場職員の許可を得て撮影。席は2階まであったが、1階に限ってはほぼ満席であった
歌舞練場前にて知人と落ち合い、入場。公演は約1時間半弱であったが、大変華やか且つ高水準で良かった。さすがは長く続くだけはある。ただ、色恋物の劇演目では年齢に合わせた配役も必要かと思われた。技芸に優れただけでは共感に限界が生じ、歌舞伎もその対応をしているからである。
機会無駄にせず収穫も
鴨川をどり観劇後は、近くの四条界隈で喫茶兼軽食休息をし、その後知人と別れたが、その帰りにまた物見に……。
それが、写真の「兵馬俑と古代中国展」。今度は祇園北の二条末にある京都市美術館(京セラ美術館)が、その会場であった。
不覚にも喫茶休憩で時間を費やし、既に閉館前1時間半を切っていたが、何とか観覧することに。何故そんなに参観を詰め込んだかというと、実は最澄展と兵馬俑展の招待券を前に文化関係者から頂いていたが、うっかり行きそびれ、気づいたら今日しか行けなくなっていた為である。
両展共にあと1日会期があったが、明日は別の約束があるため、なんとか先方の好意と機会を無駄にせぬよう、観劇前後に行くことにしたのである。
それにしても、その参観客の多さに驚いた。兵馬俑展は昭和期から幾度か行われたため多くの人にとり最早珍しいものではないと思っていたが、違った。しかも、既に館外で当日券の完売・入場不可すら報じられていた。
私は券持参の為そのまま入館したが、展示室手前で予約の有無を問われ阻まれてしまった。コロナ感染対策のこともあり、予約については事前に調べていたが、今回は予約が必要とは目にしなかった。その辺りの事情と残り時間が少ないことを告げ、なんとか暫く待ったのちに通してもらった。
想定外に多くの人が来て、急遽予約制になったのであろうか。
京都市美術館の「兵馬俑と古代中国展」で展示される武人俑。彼の始皇帝陵より出土した実物で、撮影可能展示室の展示物。この展覧会は、何故か小さな展示品の多くが撮影禁止とされ、大きな物が可能とされていた
同じく京都市美術館の「兵馬俑と古代中国展」で展示される2号銅馬車(銅車馬)。これも始皇帝陵の出土品だが、今回は複製品。銅馬車は2種(2組)出土しているが、どちらも始皇帝行幸に関する乗物とみられている
京都市美術館「兵馬俑と古代中国展」で放映される武人俑の彩色復元影像
研究進展の結果、兵馬俑はモデルに近い姿になるよう着色されていたことが判明したという。これは、今回の参観での個人的収穫となった。
実は兵馬俑展はこれまで幾度か観ており、それどころか、実際にその昔、始皇帝陵まで行って銅車馬を含む現物を見ていた。それ故、最澄展より少々興味が薄かったが、彩色のことや北方民族の人相特徴を持つ人物俑が存在することなどが新たな知見となり、十分価値を感じることが出来た。
そして、18時閉館となり、観覧も丁度終了。
こうして、京都市美術館でも、1時間程の参観ながら、中々充実した観覧となり、結果、券も無駄にせずに済んだ。機会をくれた人に感謝!
2022年03月13日
清水巨偶
寺門の怪?
寺社の参道らしき石段を塞ぐ巨大な「こけし」。昨今常識の合成画像ではなく、正にその場に実在するものであった。
長さ13mもあるという、このこけし。実は清水寺門横に設置された「花子」という名のアートオブジェであった。
同寺他で開催されていた「ARTISTS’FAIR KYOTO 2022」という芸術祭展示の一部で、アートユニット「Yotta(ヨタ)」の作品という。2011年の作品だが、今回はこの催事の為に、こうしてここに展示されているらしい。
私はこの催事について知らなかった(同時期・同地域開催の「東山花灯路(今回で廃止)」は知っていた)が、偶然床屋で見たテレビ中継で強烈な印象を受け、今夕、その実在と状況を確かめに来たのであった。
観光客や修学旅行生お馴染みの、清水寺玄関「仁王門」横を塞ぐ「花子」
中継の際にも参拝客の驚きや関心が紹介されていたが、実際に訪れた現場でも多くの人だかりが出来ていた。著名寺院の玄関口とあってその注目度は凄まじく、その後写真の位置から花子の姿が見えなくなる程であった。
参道の一部を通せんぼするこの光景。あまりに強烈すぎ、最初に見た時は「インバウンド(外国人訪日流行)で十分儲かったから、またはコロナだから、観光客はもう来るな」という、寺の意思かと思った(笑)。
また、「著名寺院門横の横倒し巨大こけし」という現実を疑うような設置のため、その場景自体が大変奇妙に感じられた。更に、この花子は数十秒毎に小さな男の子の声を発していたが、それもまた不気味さを加えた。
これぞ、まさに正銘の現代アートか――。
そのジャンルについてはあまり詳しくないが、皆を巻き込み感情や常識を様々に揺さぶるスケールの大きさに感心した。
花子の脚裏。合板ながら、木製である本物のこけしに似せた現実性が追求されており、抜かりない。実は本体はバルーン(風船構造)で出来ているらしいが、こうしたこだわりも、作品の外的・内的(見かけ上・心理上の)影響力を高めるのに有効かと思われた
「こっちに転がってきそうで怖い!」と言いつつ、慌てて逃げる観覧の子供(右下。実際風等に因り少し揺れたりする。笑)。花子の周囲には人だかりが出来ていたが、不気味さの所為か、子供を始め、近寄る人は少なかった
驚きの観覧終了
驚きの現代アート作品「花子」の見学後、清水寺の塔頭・成就院で同時開催されていた特別公開と作品展示を観たかったが、受付時間外で叶わず。
その後、寺を離れ、同行者と清水麓の六波羅界隈を少し散策して帰宅したのである。
2021年12月05日
観紅葉洋館
新肺炎小康の紅葉・催事参観
今年も遂に年末師走の12月に。
コロナ禍も解消されぬまま、また新たに新変異株の脅威も加わったが、一先ず日本では小康を保っていた。その間隙を衝くように、昨年中止された様々な行事が動き始めた。
折しも、ここ京都市街の紅葉も終盤となっていたので、それら催事の一つに参観がてら、近場・通り道の紅葉を眺め観ることにした。
その紹介を以て、毎年恒例の紅葉具合報告の代りとしたい。
上掲写真 「京の紅葉名所」とうより、今や世界名立たる名所となった観のある(コロナ禍で海外客はほぼ絶えたが)、京都市街東部は永観堂門脇の楓黄葉。
先ずは表題写真でも紹介した今や世界の名勝・永観堂の紅葉。一見美麗だが、秋口等に気温が乱れた所為か、萎れ葉が混じるなど、その不揃いが目についた。係の女子によると、3・4日前が最も色づいたのでは、とのこと
永観堂の次はその南に隣接する南禅寺境内の紅葉。ここは毎年場所により紅葉具合の差が大きいが、場所によりこの通りの美麗が見られた
続いては、少し移動した、南禅寺西南にある青蓮院の紅葉。樹齢500年を超すとされる境内縁の大楠(クス)越しに見たものである
東山の名洋館・長楽館
さて、洛東各寺の紅葉を眺め観て、やがて目的地・祇園円山公園に到着。公園内に残る写真の明治洋館・長楽館参観が今日の最終目的であった。
フランス・バカラ社特注とされるシャンデリア輝く長楽館玄関内。これまで長楽館には入ったことがなかったが知人より招待券を頂戴した縁で参観することに。ただ、今日は長楽館特別公開の最終日。間に合って良かった
長楽館内部は通常カフェやレストランとして使用されている。今日も公開と並行して営業しており、係の人らが忙しく行き交う様がみられた
長楽館1階中央ホールの豪華な大理石の柱や木製内装。奥には喫茶室があった。喫茶室は2階までの各部屋が当てられていたが、感染防止の人数制限のため、館外に多くの待ち人があった。ただ、公開参観者は並ぶ必要なし
長楽館2階に掲げられた明治元勲・伊藤博文公揮毫による「長楽館」の扁額。長楽館は明治末に京都出身の煙草王・村井吉兵衛氏によりその別邸・迎賓館として建てられた。伊藤公爵もここに泊まり、その造作と立地に感銘を受けて一文を詠じ、それに由来する館名の揮毫に至ったという
意外の別格建築以て観覧終了
さて、長楽館の特別公開は、その3階にある和室エリアであったが、残念ながら撮影は許可されなかった。写真は唯一許されたその入口部分である。
3階の公開箇所は「御成の間」と呼ばれる主室と「長楽庵」と呼ばれる茶室で構成されていた。大名御殿のそれを縮小したような設えで、共に皇族にまで対応できる格式を備えている。
その為か、長楽館自体が、一般的な当時の公館以上の豪華さ・精緻さを以て造られていた。地方都市施設ながら、また民間建築ながら、これは実に意外なことであった。正に国指定登録文化財に値する価値があった。
なお、公開二所の写真は、館公式サイト内にあるので興味ある人は参照を……。
こうして、今日の紅葉・洋館の観覧は終了。有意義な機会をくれた知人等の諸々に感謝したい。