2009年07月03日

out of place

来田猛写真展が開かれた京都嵯峨野・大覚寺宸殿の屋根

大覚寺にてお得な催し開催中(

午後遅く、用の合間をぬって少々遠出する。京都市北西部にある名刹「大覚寺」に行く為である。別に初めての訪問ではない。外でもない、友人の展覧会がそこにて開かれている為であった。詳細はまた後ほど伝えるが、会期が明後日の7月5日(日)までなので、取り敢えず時間等をお知らせしたい。

展示は、7人のアーティストたちによる様々なアプローチの作品を、名刹の拝観エリア内にそのまま展開させるという企画。ユニーク、かつ珍しいものなので是非お勧めしたい。もちろん、大覚寺の文化財にも同時に親しめる。大変お得な催しである。


展覧会タイトル out of place
場所 大覚寺門跡(境内有料拝観域にて。要¥500)
期間 2009年6月24日(水)-7月5日(日)
時間 9:00-16:30


※ 原画像紛失の為、作品画像のぼかし解除と所感追記が不能となっております。関係各位にはご迷惑をお掛けしますが、ご了承の程お願い申し上げます(サイト発信元・管理者より)。


大覚寺宸殿「紅梅の間」の畳上に展示された来田猛の写真作品
主催7人の内の1人で、友人の来田猛(ころだ・たける)君の写真作品展示部分。まだ開催中なので、敢えて作品内容を伏せ(ぼかし入れ)させてもらった()。先ずは現場での出会い・驚き等を楽しんで頂きたい。なお、無フラッシュによる撮影と、そのWEB公開は当人より許可済みである


大覚寺宸殿「紅梅の間」の畳上、狩野山楽の「紅白梅図」前に展示された来田猛の写真作品
天下の名画、狩野山楽作「紅白梅図」に挑む来田作品。こちらも今は伏せさせて頂く(


大覚寺本堂「五大堂」裏より見た嵯峨の名勝「大沢池」とその中に仕込まれたアーティスト作品
大覚寺の本堂「五大堂」裏より、嵯峨の名勝「大沢池」を見る。この中にもその他のアーティストの作品が仕込まれているのだが、お解かりになるだろうか。少々見難いが、画像上でも確認出来なくはない。ヒントは、古この池で行われた行事に因むもの(現象)である


庭園内にて作品の記録撮影をする写真家・来田猛
庭園内にて作品の記録撮影をする作家を発見。こちらは無許可の盗撮である。本人から苦情が入るまでの掲載ということにしておこう(笑)

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 催事(友人其他)

2009年01月01日

越年宴席


初詣に出掛けた上御霊神社の灯籠灯火

鞍馬口にて越年フルコース

大晦日の晩、今年最後の入浴を近所の銭湯で済ませたあと、上京は鞍馬口通付近にある知人宅を訪れた。そこで行われる越年の宴席に出席する為である。

いつもの如く遅刻気味であったが、様々な馳走を頂けた。その日初めて会う人達とも酌み交わす、住人自慢・秘蔵の日本酒も旨かった。しかし、特に面白かったのは、この宴が飲食と語らいだけでなく、越年行事を全て行うという企図を有していたことであった。

先ずは宴中、旧年中の回顧を一人づつ述べるということから軽く始まり、本物の杵と臼を用いた室内「餅つき大会」へと進む。そして鐘つきの為に近隣寺院へ出向き、その後神社で初詣。家に戻れば、皆で年越し蕎麦を食べ、「書き初め」を行う。これらの間にはそこで焼かれた洋菓子による「デザート会」まであり、本来は銭湯行きも計画されていたようである。

予定が押し、越年蕎麦が「越し蕎麦」になるハプニングもあったが、実に至れり尽せりの、贅沢なイベントだったのである。提案すれば、次回には羽根つきまで付加されそうな勢いである。かなり若い人達が企画した宴席だったので、正直これ程徹底したものとは想っていなかった。正に、越年フルコース・イベントとでも呼べようか。

昨今の世相のおかげで、すっきりしなかったところが少し救われた気分となった。この様な若者達の、頼もしいバイタリティーの存在を目にした為である。しかし、勢い余って羽根つきで墨をつけられるまでになるのは御免だが…(笑)。


上掲写真 「越年宴席」会場の至近で、初詣に出掛けた上御霊神社の灯籠灯火。


年明けの晩に訪れた上御霊神社の本殿前
上御霊社本殿前。既に皆飲んでいるのだが、また御神酒を頂き、参拝の列に並んで初詣。その前はこれまた近くの天寧寺にて除夜の鐘をついた


年明けの晩に訪れた上御霊神社の境内に焚かれた篝火
上御霊社境内に焚かれた篝火。会場が間仕切りを廃した寒さ抜群の古家だったので、暫し皆で暖をとる。溢れる若者のバイタリティーも、古家の寒さには勝てないようである(笑)


上御霊神社の神職や氏子さん達とも歓談する越年宴席の参加者
神職や氏子さん達とも歓談


正月夜更けの上御霊神社西楼門と提灯あかり
上御霊社の西楼門。少々幸先が良く思われた正月夜更けであった

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 催事(友人其他)

2008年08月28日

気概好日

来田猛・白子勝之の写真と漆の作品展「線という形 闇という色」が開かれた京都円山公園南隣にある西行庵内の古い茅葺茶室「皆如庵」

「線という形 闇という色」展

夕刻、家での仕事を一区切りつけ、予て招待されていた友人の展覧会に出掛けた。

友人は写真家の来田猛(ころだ・たける)君。今日28日と明日29日の2日間、漆芸家の白子勝之氏と共に「線という形 闇という色」というコラボレート展を開催したのである。場所は東山区円山公園南隣にある西行庵。その建屋に内包されている「皆如庵」という古い茶室にて行われた。


線と漆黒で数百年の伝統に対峙

通常の白箱式ギャラリーとは異なり、内装そのもの、建屋全てが強い存在感を持つ茶室。そのような「圧力」に満ちた空間に、果敢に挑んだ2人の力作があった。

彼らがその圧力に抗する為に用いた手段は、茶室のそれを上回る簡素さや重み。即ち、自然さを保ちながら同時に力も有した「線」と、同じく何物をも凌ぐ深い重みを有した黒漆の「闇」であった。それは恰も、「線という剣」、「漆黒という盾」を以て数百年の伝統文化に対峙した趣さえ感じられたのである。

いや、中々いいものを見せてもらった。予報により天候不順も想定されたが、それが覆ったのも、気概あるこの展示のお蔭かと思われるほどであった。もはや29日、1日しかないが、是非皆さんにもお勧めしたい。


上掲写真 西行庵東角にある「皆如庵」入口。かの戦国武将、宇喜多秀家の息女が輿入れの際に持参したものを移築改修したとの伝承をもつ。普段公開されていない、この茶室を見るだけでも価値がある。


来田猛・白子勝之の写真と漆の作品展「線という形 闇という色」が開かれている西行庵とその茶室「皆如庵」の夜景(京都市東山区)
西行庵夜景。左側の障子部屋が「皆如庵」

電灯のあかりで見る作品も、また自然光とは違う趣があっていい。来田君の勧めもあり、日没までの1時間程居て、光の具合や周辺雰囲気の変化を楽しんだのである。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 催事(友人其他)

2008年08月05日

個展観覧&撤収支援

大阪茨木のギャラリー「la galerie(ラ・ガルリ)」で開かれた画家・イラストレーターの林雅彦氏の個展で展された切り絵作品

趣あるギャラリー。個展の主催者は彼……

夜、友人の個展観覧と、その撤収支援に出掛けることとなった。場所は大阪府北部、茨木にある「la galerie(ラ・ガルリ)」というギャラリー。丁寧に改装された重厚な古民家内に、デザイン事務所・カフェと共に併設されている実に趣あるところ。

友人である個展作家は、画家・イラストレーターの林雅彦氏。春から続けている私のイベント「胡羌鬲絶展」のライブで、エレクトリック・ベースを担当してもらった人である。即ち、特別ユニット「吉田エアプレイン」の一員でもあったのである。

そんな、芸達者で気心の知れた彼の仕事の観覧とその援助に向かったのである。つまり今日は林個展の最終日。本来は、別に日をとってゆっくりと観覧したかったが、自分のイベントとも重なっていた為、叶わなかった。林氏と「ラ・ガルリ」のKさんにはこの場を借りてお詫びしたい。

展示に感銘。暑くも充実した1日の終り

さて、林氏と共に撤収用の車輌にてギャラリー入りし、作業前のひと時に観覧させて頂いた。搬入時にも一部手伝ったので、出展作自体については知っていたのだが、やはり展示として完成された姿を見るのはまた迫力が違う。今回は特に大型絵画や林風の描き味を存分に活かした切絵作品が導入された、個人的に注目していた展示だったので、加えて深い感銘を頂けたのであった。来年予定されているという、京都での個展が一層楽しみとなった次第である。

そして、感銘の余韻に浸りつつ約2時間の撤収作業を終えて帰路についた。断続的に降っていた激しい雷雨は知らぬ間にあがり、また眠り浅い夏の夜が辺りを覆う……。

実に、暑くも充実した1日の終りとなった。


上掲写真:ギャラリー「la galerie」の入口部に飾られた林作品と、その個展案内状。


大阪茨木のギャラリー「la galerie(ラ・ガルリ)」で開かれた個展の撤去前に大型絵画作品に見入る画家・林雅彦氏
個展撤去前に作品に見入る作家、林雅彦氏。お疲れ様…

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 催事(友人其他)

2008年06月03日

神宮幽明

第59回京都薪能のために平安神宮境内に設けられた能舞台と夕暮れに開演を待つ観衆

夕刻、京都市東部は岡崎の地にある平安神宮を訪れた。普段は18時で閉門となるその境内只中に広がっていたのは、照明が仕込まれた大舞台と、その周囲に着座した観衆の群であった。

久方振りの「薪能」

今日は毎年この時期に行われる「京都薪能」の日で、前後2日ある内の2日目。本来なら前日は6月2日に行われる予定であったが、生憎の雨で順延となったのである。薪能とは、簡単にいえば夕刻から屋外で行われる能や狂言の催しのこと。本来は興福寺の行事名であったが、今はこの意で使われることが多い。

刻々と変化する空色や外気が醸す特有の緊張感に惹かれ、以前より方々のそれへ出掛けていたのだが、演者や場所が別格のここでのそれを最上としていた。有難いことに、うちから自転車で行ける至便地でもある。しかし、ここ数年行くことが出来なかったので久方振りの観劇となった。

人の怨情を扱う「葵上」、世の表裏を現出する能楽

雨天順延の為に予定が崩れ中途観劇することとなったが仕方あるまい。本日の「取り」演目であり、未だ見たことがなかった「葵上(あおいのうえ)」には間に合ったのでよしとしよう。

『源氏物語』に取材した「葵上」は、生きた人間を生霊・鬼にも変えさせる「怨情」を扱った作品。シンプルな装置や所作で形に成し難い人情の機微を表す、能という表現手法に極めて相応しいと思われた演目であった。鬼面を付けて乱れ舞う六条御息所(後シテ)より、普段と変わらぬ生霊(前シテ)姿で静かに恨みを述べるそれの方に凄みを感じたのは私だけであろうか。


表題の「幽明」とは、幽界と顕界(げんかい)のこと。つまり世の表裏である。能楽によって現出されるそれを表した。


上掲写真: 平安神宮境内に設けられた能舞台と、開演を待つ観衆。後方に浮かぶ本殿が鏡板(かがみいた。後背飾板)代りとなっている。舞台両傍で焚かれる薪の松煙が夕風にかおる。見上げれば、天蓋を覆う密雲が残照に波立つ……。何かが始まる予感。芸能の原点。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 催事(友人其他)

2007年10月25日

天才観覧

狩野永徳展が開かれている京都国立博物館本館(特別展示館)正面部

諸媒体が毎度合唱する「芸術の秋」の語に釣られた訳ではないが、秋一日(いちじつ)の間隙に催事観覧を行った。場所は市街東部にある京都国立博物館。催しの名は「狩野永徳展」である。

時代を代表する男、狩野永徳

ご存知かもしれないが、狩野永徳とは、日本美術史の画期、桃山時代を代表する画人で、海北友松(かいほう・ゆうしょう)、長谷川等伯(はせがわ・とうはく)、雲谷等顔(うんこく・とうがん)らと共に桃山四巨匠の一人とされる人物である。安土城や大坂城等の、当時一級の城郭や宮殿社寺の障屏画(しょうへいが)製作に腕を揮い、後の「狩野派」隆盛の基を成した。そんな、ぬきんでた活躍と力量から、四巨匠中でも特に秀でた画家として、広く内外の研究者、愛好家らに知られている。

永徳に限らず、天下人らのモニュメンタルな建築にて大作を担ったこの時代の画家は、「画人」や「絵師」と呼ぶより、「障屏画家」とでも呼ぶ方が相応しい。建具等に施された室内装飾である障屏画は、「源氏絵」等の画中画で知られるように、桃山以前より存在したが、新しい権威と結びついた壮大かつ絢爛な桃山のそれは、全く趣を異にする。故に、障屏画といえば桃山が想起され、桃山といえば障屏画が想起されるほど、障屏画は桃山という時代の、代名詞的存在とさえなっているのである。その、障屏画製作に於いて頂点的存在であったのが、まさに永徳その人であった。

つまり、彼を重用したクライアント(発注者)である、時の覇者、信長・秀吉と同じく、永徳自身もまた桃山を代表する男だったのである。

永徳に見る「天才」の姿

実は、私はかなり以前より、この桃山障屏画の愛好者であった。かつて所蔵館や所蔵寺院に繁く出向き、それらを鑑賞したものである。四巨匠には何れも好意を抱いているが、中でも永徳は特に思い入れが深い。それは、大徳寺の塔頭、聚光院に於ける「遭遇」での衝撃によるものであった。

その昔、期間数日という聚光院の秋季拝観に臨んだ私は、その方丈内にて図らずも永徳の作品に接した。禅堂らしく、白地の襖に墨一色の地味物であったが、そこには恐るべき才能が印されていた。襖間を渡る梅の枝(え)などの力漲る線に、大胆な擦れ塗りによる岩などの迫力ある面―。何気なく踏み込んだ佛間の気が、一気に緊迫した。そして、身を囲う襖全面が発する気迫に圧倒された私は、暫しそこに釘付けとなったのである。その時、全身の皮膚が浮き立つ感覚を経験したことをよく憶えている。

当時、私の年齢は奇しくもその画を成した永徳と同じ、20代半ばであった。微塵の迷いも見られぬ彼の業(わざ)に、私は天才というものの姿を実見した気がした。

「永徳展」所感

さて、肝心の展覧会の方であるが、さすがに集大成企画を謳うだけあって主要作の殆どが動員されている。全てではないが、前述した聚光院の襖絵もまた然りである。中でも、広く一般に知られた品ながら実見の機会少ない「上杉本洛中洛外図」が、遥々山形から移され、間近にその絢爛を観察出来たのは嬉しいことであった。ただ、展示替えの関係上、「三井本聚楽第図屏風」(狩野派作。会期後半出展)が見れなかったことは残念であった。同図は、聚楽第を唯一実見して描いたとされるもので、史料的価値も高いものなのである。

人の出は、やはり多かったが、数年前同館で催された「雪舟展」ほどではなかった。ただ、「洛中洛外図」前では込み合ったし、週末や休日ともなれば事情は変わるかもしれないので、現況を確約するものではない。

愛好者としては、本来障屏画は、作品が当初設置された場所、そして自然光のもとで鑑賞すべきだと思っている。即ち、作者の意匠計画並びに意図、そして想定環境を尊重することである。そうすることが、作品の良さや凄みといったものを最大限に感知することに繋がると思われるからである。とはいえ、昨今はそれが難しくなりつつある。画面保護や防犯上等の問題の為である。聚光院に於いても、近年複製品が完成した為、現物鑑賞の機会は減るのではなかろうか。なので、今回のような別所展覧の機会を利用するのも致し方あるまい。

ともあれ、今回の対象は天才である。少々鑑賞の環境が劣っても、少なからずその凄みを認めることは可能であろう。ただ、やはりその際に於いても勧めたいのが、かの聚光院の襖絵である。派手な箔押しや着色がなく、またその姿自体が威を放つ猛獣・猛禽を用いない簡素なそれは、画人の本質を知るのに相応しい材料と思われる。そしてそこから、永徳を永徳たらしめたのは実は天下人の要請ではなく、「時代」であったということも判るのではなかろうか。天下人登場以前、既に「時代の代表永徳」が用意されていたということを、初期作である襖絵が教示するからである。

清爽な秋の日の一日。読者諸氏も、本当は滅多に存在しない天才の豪気に触れられてみては如何であろうか。


上掲写真: 京都国立博物館本館(特別展示館)正面。永徳展の玄関口である。明治28(1895)年完工という、館内自体の雰囲気もいい。雪舟展の時のように、ここから長蛇の列で待たされることはなかったが、なかなかの人出であった。因みに、会期は11月18日までとのこと。


京都国立博物館本館(特別展示館)正面の皇室紋章と伊弉諾・伊弉弥のレリーフ
日本の博物館・美術館は当然ながら内部での撮影が禁止されている。なので、代りと言えばなんだが、本館正面のレリーフでも掲げておこう。皇室の紋章左右にある人物は、確か伊弉諾(イザナギ)と伊弉弥(イザナミ)だった筈である。神話世界に於ける国土創造の父母神で、「大日本」明治の世らしい題材。これもなかなかの豪気ではなかろうか。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 催事(友人其他)