2018年01月01日

明治百五十年

平安神宮の大鳥居

維新から150年目の年頭

平成30年、2018年の始まり――。

昨年末は、残務により大晦日まで仕事となり、なんとか新年を迎えることが出来た。仕事があるのは有難いことだが、自分の要領の悪さや諸々の事情によるものなので、あくまでも一応、「なんとか」の年越しである。

まあ、そんな私的で小さなことはさておき、今年は「明治150年」という記念的な年でもあった。昨年の大政奉還150周年に比してあまり宣伝されていないように感じるが、個人的には非常な重みを感じる。

時代区分上、日本における「近代」が始まったとされる明治。そこから150年が経ったのである。この歳月をどう捉えるかは人それぞれであろうが、個人的には非常に短く思われた。乱暴な言い方が許されるなら、たかが50歳の人間3回分の時間である。

その間に起こったこと、変化したことを考えれば、途轍もない密度や規模を感じざるを得ない。これは日本に限らず、世界中に言えることでもあろう。つまり、人類にとっても、この150年は大変な重みがあるといえる。

それについて、もう少し綴りたいと思ったが、今日は静かにその歳月を偲びつつ、記念的年頭を過ごしたいと思う。


上掲写真: 元日の朝、京都市街東部は平安神宮に詣でた際の一写。神宮前に聳える大鳥居である。建造は神宮建立より遅い昭和3(1928)年。即ち、ちょうど90年前に、昭和天皇の即位大礼を記念して造られたものである。昭和天皇の即位とその後の激動期も明治150年のうちの出来事である。


元日午前の平安神宮境内
模造「応天門」門内に広がる平安神宮境内。平安神宮は平安遷都1100年を記念して明治28(1895)年に京都岡崎に建造された宮城型の神宮である。


参拝客で混みあう元日午前の平安神宮神殿(大極殿)
参拝者で賑わう平安神宮大極殿(外拝殿)前。例年、午後から更に人が多くなり、その前庭は順番待ちの人々で埋め尽くされるようになる。

過去を土台・教訓に良き未来願う

衆人の、願い集める初詣――。

ささやかな個人的希望を寄せる前向きで明るい動きであるが、来し方150年を思うと、平穏や健全を願わずにはいられない。

この150年を土台・教訓として、どうか良き未来が築けますよう。

最後となったが、皆さん今年もどうぞ宜しく……。

posted by 藤氏 晴嵐 (Seiran Touji) at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 逍遥雑記