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    <title>過日・来日</title>
    <link>http://seiran.ginreido.net/</link>
    <description>藤氏 晴嵐  - Seiran Touji -</description>
    <language>ja</language>
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    <itunes:summary>藤氏 晴嵐  - Seiran Touji -</itunes:summary>
    <itunes:keywords>藤氏晴嵐,とうじせいらん,Seiran Touji,著述家,作家,writer,歴史家,historian,京都在住,a writer in Kyoto,逍遥雑記</itunes:keywords>
    
    <itunes:author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</itunes:author>
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      <link>http://seiran.ginreido.net/article/55953282.html</link>
      <title>春冷麺会</title>
      <pubDate>Sat, 12 May 2012 22:00:00 +0900</pubDate>
      <description>麺会初開催。天候に難有り5月も中頃だというのに暖かくない。というより寒ささえ感じる日もある。特に今日は一段とそれを感じる。今年はなんだかおかしい――。そんな天候の中、初の麺会を開催。しかも屋外。せっかくの催しがこんな天候に当ってしまい、残念だが、ほかの日も似たりよったりなので、まあ致し方あるまいか……。今日の麺会では肉饅の原形である「包子」（北京漢語読み「バオヅ」）作りに挑戦。しかも、その本場のネイティブによる指導を受けながらというもの。なぜ肉饅が「麺」なのか？「麺会」と称し..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_12/baozi6.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="麺会「包子,肉饅,饅頭,花巻,手作り」" /><br /><br /><strong>麺会初開催。天候に難有り</strong><br /><br />5月も中頃だというのに暖かくない。というより寒ささえ感じる日もある。特に今日は一段とそれを感じる。今年はなんだかおかしい――。<br /><br />そんな天候の中、初の麺会を開催。しかも屋外。せっかくの催しがこんな天候に当ってしまい、残念だが、ほかの日も似たりよったりなので、まあ致し方あるまいか……。<br /><br />今日の麺会では肉饅の原形である「包子」（北京漢語読み「バオヅ」）作りに挑戦。しかも、その本場のネイティブによる指導を受けながらというもの。<br /><br /><strong>なぜ肉饅が「麺」なのか？</strong><br /><br />「麺会」と称しているのにどうして肉饅なのか――。そんな疑問を抱く人も多いと思う。ここで少し説明しておこう。日本では誤解されているが、麦扁を持つ「麺」の字は、小麦の水練りを原料とした食品全てを表す語である。<br /><br />西方から伝わったその原料形式を、中原の人々が読み方もそのままに表記できるよう創出した文字ともいわれるのである。よって、拉麺でも餃子でも中華蒸しパンでも麺（食）といえるのであった。<br /><br />続く<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>麺会</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
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      <link>http://seiran.ginreido.net/article/55725334.html</link>
      <title>新緑峠会</title>
      <pubDate>Sat, 05 May 2012 22:00:00 +0900</pubDate>
      <description>貴重な好天での開催のっけにトラブルも新緑眩しい5月の連休一日（いちじつ）。去年に続いて左京区岩倉で実施した「峠会」が無事終了した。この時期としては珍しく天候不順の日が続いていたが、その当日は幸運にも貴重な好天に恵まれたのである。しかし、のっけにトラブルが……。その原因は私にあった。何と寝坊して集合に遅れたのである。夜更かしと目覚ましの不作動が原因であったが、結果20分程皆を待たせることとなった。この場を借りて改めてお詫びする次第である。さて、集合場所の出町柳駅から叡山電鉄で岩..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani1.jpg" width="266" height="400" border="0" align="" alt="峠会「瓢箪崩山山頂より大原と比良山脈を見る」" /><br /><br /><strong>貴重な好天での開催<br />のっけにトラブルも</strong><br /><br />新緑眩しい5月の連休一日（いちじつ）。去年に続いて左京区岩倉で実施した「峠会」が無事終了した。この時期としては珍しく天候不順の日が続いていたが、その当日は幸運にも貴重な好天に恵まれたのである。<br /><br />しかし、のっけにトラブルが……。その原因は私にあった。何と寝坊して集合に遅れたのである。夜更かしと目覚ましの不作動が原因であったが、結果20分程皆を待たせることとなった。この場を借りて改めてお詫びする次第である。<br /><br />さて、集合場所の出町柳駅から叡山電鉄で岩倉駅に移動し、現地集合の人とも無事合流（ここでも謝罪。苦笑）。ここから徒歩で大原までを踏破する峠会が開始されたのであった。<br /><br />直前に、事故や体調不良・体力不安等により人員は半減したが、爽やかな晴天の下、程良い人数による和やかな雰囲気での始まりとなったのである。<br /><br /><br /><strong>上掲写真：　</strong>瓢箪崩山山頂（532m）木立より覗く大原の里と比良山地（中央奥）。賀茂川水系高野川と琵琶湖水系安曇川、そしてそれに沿って北方海浜へと向かう古道が貫く、「海道回廊」の眺めでもある。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani_kozu2.gif" width="400" height="574" border="0" align="" alt="峠会「仮製二万分之一地形図（明治22〈1889〉年測）に示す峠会ルート,岩倉と大原を結ぶ古道をゆく」" /><br />大日本帝国陸軍陸地測量部編『仮製二万分之一地形図』（明治22〈1889〉年測。4図合成の一部に加筆）<br /><br /><strong>古図に示す峠会ルート</strong><br /><br />先ずは、この地域を描いたものとしては史上初となる地形図上に示した今回の峠会ルート（実線トレース部分）を掲げたい。<br /><br />山越えの区間を「寒谷越古道」と名付けているが、そこと、左下の京都市街の位置を考慮すると、現在主道となっている高野川沿いの八瀬ルートより距離効率が高いことが判る。<br /><br />前近代、このルートを利用すれば、川幅が狭まる上流「小出石」辺りまで高野川を渡ることなく北上することが出来た。古来、河川渡渉は交通の一大障害であった。このことからも、この峠道の様々な史的可能性が窺えるのである。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani2.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="峠会「岩倉中集落の丁字路にある愛宕灯籠,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br /><br /><strong>峠へと繋がる旧道をゆく<br />今なお活きる愛宕灯籠</strong><br /><br />さて、岩倉駅を出て、山地へ向かって北上する。2車線歩道付きの広さを持つ、近年開通の新道「岩倉中通」である。しかし、今日の目的は古道たる峠道に親しむことなので、速やかにそれとの関連が深い旧道へと移動した。<br /><br />写真は、嘗て岩倉東部の主要南北路であったその旧道で出会った古い常夜灯。火除け利益の総本宮「愛宕神社」への参詣者を導く「愛宕灯籠」である。場所は、古式の家屋が残る中集落（旧中村・現中町）只中。ちょうど丁字路の際に当り、傍には江戸期のものとみられる道標もあった。<br /><br />明治図を見れば、この場所が、南北路と岩倉西部の中心集落（実相院等の所在地）を結ぶ東西主路の分岐であることが判明した。今は一面宅地で、新道も多いため判り辛いが、古図を参照することにより早速発見が得られた。峠道は南北路の延長上にあるものなので、その役割等を考察するには、これら古物の現存は重要な物証となる。<br /><br />傍にいた地元の人によれば、この付近に点在する愛宕灯籠には、今なお、毎夜灯明が入れられるという。また、灯籠後方の神棚には今も輪番の住民が愛宕山山頂神社より求めた神札が祀られているらしい。何と、この愛宕灯籠は、徒歩旅行での参詣者が絶えて久しい現代に至っても、活きていたのであった。しかも、古式のままの作法・姿で――。<br /><br />実に興味深く、そして驚かされる出会いであった。1度、夜間揺らめく灯火の様を実見してみたいものである。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani3.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="峠会「寒谷越の道沿いにある飛騨ノ池,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br /><br /><strong>峠道入口と飛騨ノ池</strong><br /><br />中集落を過ぎ、そのまま南北旧道を北上して長谷（ながたに）集落に入る。ここでも、灯籠や古い家々の姿が見られた。そして、その外れの山裾から峠道が始まった。<br /><br />写真は、そんな峠への入口で出会った一景。地元で「飛騨ノ池」と呼ばれる灌漑用の溜池である。山の清水を直に貯水している為か、溜池らしからぬ美麗の水を湛えている。水辺に寄って休息などしたかったが、柵が張り巡らされていたため叶わなかった。<br /><br />因みに、池の下手に広がる林は京都市より遺跡指定を受けており、それに関する碑も立つ。「岩倉長谷殿跡」と名付けられた、かの聖護院の前身寺院跡とされるもので、平安期の遺構である。聖護院以前には修験の祖「役小角」との関りが伝承されている寺なので、峠道と古代交通との関りも推察される。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani4.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="峠会「寒谷越の分岐の木と石祭祀,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br /><br />池を過ぎると、道は植林帯に続く緩やかな登坂となる。未舗装だが、林業用自動車の轍により、古道というより「林道」と呼ぶべき観が強いものであった。ただ、路傍には古い石積などの痕跡もあって、決してその印象に止まらない風情もあった。<br /><br />写真もそんな古道風情の1つ。谷の分岐にあった標（しるべ）らしき木と、その根元に備えられた祭祀痕跡である。樹種は、近世の街道一里塚などにも用いられた榎にも見えたが、如何なものか。<br /><br />祭祀は三角錐様の自然石を用いた珍しいもの。詳細は不明だが、その丁寧な設え方から、厚い尊崇の様が感じられた。木の背後には斜面を切った小さな平坦地があり、古い石積も見られた。元は祠か何かが在った場所であろうか。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani5.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="峠会「植林地の谷中・沢沿いに続く寒谷越,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br />木漏れ日溢れる谷中・沢沿いに続く古道<br /><br />寒くなく、暑くもない、ちょうど良い気温。しかも快晴。延期開催した甲斐あり、の感である。参加者全員、気分良く登坂の路程をこなす。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani6.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="峠会「岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br />「車道」から「山道」に変化した峠道<br /><br /><strong>車道消失。誤記か気づかずか</strong><br /><br />やがて、林道様の道が終り、山腹に取りつく急登の道となった。明治図では、谷をそのまま遡行する形で道が描かれているので、暫し採るべき進路を検討。これより先の道は荷車の通行にも適さず、古い感じもしないからである。<br /><br />しかし、この道の他、峠へ上がる道跡はなく、現代図に記されているルートとも合致する為、一先ずは進むことにした。車道終点手前で分岐する谷遡行の古道跡に気づかなかったのか、それとも明治図の誤差か――。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani7.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="峠会「山の蛙。寒谷峠直下にて,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br /><br />体力負荷が大きくなった道を、休みやすみ上る。冬眠明けか、途中現れた山の蛙などの撮影もしながら無理せず……。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani8.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="峠会「寒谷峠直下のつづらの古道,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br /><br />やがて、道は古道風情を取り戻した。「車行」も可能と思われた、積み石等で整備された痕跡を持つ、つづらの道が現れたのである。やはり、進路に大きな間違いはなかったようである。<br /><br />途中の一部が近年崩落等で失われたのか。再度調査してみなければ今は解らない。写真は、つづらの古道。寒谷峠直下の場所である。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani9.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="峠会「寒谷峠の道標,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br /><br /><strong>寒谷峠の人為痕跡</strong><br /><br />そして寒谷峠到着。標高約460m、岩倉と大原の境界である。眺望はないが、雑木林の中に開けた、気分良い場所である。正に休息好適地。ただ、風が抜ける場所なので、時季によれば、その名の通り寒さを感じるかもしれない。<br /><br />峠上は、南側に偏った比較的大きな平坦地となっている。長谷からの古道は、その縁を削り、食い込む様に接続している。それらは、明らかに人為によるものと判別出来た。往古、茶屋か番屋の如き施設があったのであろうか。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani10.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="峠会「寒谷峠から瓢箪崩山への道,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br />寒谷峠から瓢箪崩山へ。岩多い尾根道の登坂<br /><br />ちょうど良い時間となったので、峠にて昼食休止しようかと思ったが、折角なので近くの瓢箪崩山に移動することにした。峠での小休止後、皆の身体具合を確認して出発。<br /><br />慣れない人には申し訳ないが、今暫くの登坂に耐えてもらう。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani11.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="峠会「岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br /><br /><strong>新緑の絶景、瓢箪崩山</strong><br /><br />峠より15分程で山頂着。標高532m。先ほど歩いた岩倉や、八瀬・大原の三方が開く素晴らしい眺望を得られた。前情報はなかったが、実に移動した甲斐があった。<br /><br />写真は、山頂の三角点と、八瀬方面に開く林間から覗く比叡山。正に、新緑光る絶景であった。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani12.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="峠会「寒谷峠から大原井出集落への下り道,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br /><br /><strong>またもや古道消失</strong><br /><br />瓢箪崩山での昼食休憩後、元来た道を下り、再度寒谷峠まで戻る。今度は、そこから大原側に下る進路を採るのである。<br /><br />ところがここで少々問題が。峠上、岩倉からの道の対面にある筈の大原への下り道が見当たらないのである。あるべき場所にあるのは、自然に下降する谷筋だけであった。明治図は疎か現代図にも、峠からの下り道がその谷筋に記されているにも拘らず、である。<br /><br />近年状況が変わったのであろうか。否、そのような痕跡は一切見られない。仕方がないので、道のない（図ではあることになっている）その谷筋を下ることにした。長谷からの途上の様に、先へ進むと何か判るかもしれない。<br /><br />写真はその途中にて振り返り、峠方面を見たもの。水のない谷に石や倒木が散乱する。石段舗装路が崩壊したものとも思われたが、それでは「車行」が困難なため、同じ路線としての連続性に欠ける。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani13.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="峠会「盛土の「巻き道」古道,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br /><br /><strong>「巻き道」古道現る</strong><br /><br />暫く下っても明確な道跡は現れなかったが、やがて谷横斜面から谷筋へと下る、盛土状の道跡と出会った。写真のものがそれである。そして、ここから谷筋下手に古道痕跡が現れることも発見した。<br /><br />古道はここから谷筋の進路を採らず、斜面を巻いて峠へ接続しているのではないか――。実は寒谷峠には、大原の方向とは違う、北向きの古道が接続していた。その道と、この盛土の道は道幅等の姿が極めて似ている。<br /><br />嘗て北山の峠や古道を考察した研究家で著述家の金久昌業氏によると、寒谷峠と大原へ向かう道の接続は「巻き道」による、としている。事前調査にて、地形図を見ながら氏の記述に接した際、殆どイメージ出来なかったが、この発見によりそれが叶った。<br /><br /><strong>2路の新旧・主客問題</strong><br /><br />あの北向きながら痕跡明瞭な道こそ、大原への古道であった――。しかし、そうなるともう1つの問題を呼び起こす。それは、2路存在する岩倉への古道の、どちらがより古く、主要であったか、というものである。<br /><br />金久氏の聞き取り調査では、今日辿った長谷からの「谷道」が、大原への主要路であったと地元岩倉では認知されているという。しかし、大原への巻き道は、長谷南方にある花園集落から峠の南に接続する「尾根道」（前掲ルート図点線部）と良く対応しており、姿も似ている。<br /><br />金久氏は、そのことと、尾根道全線の観察に基づき、逆に長谷の谷道の方が新しいのではないか、と推察している。私も、今日の見聞により、その説を支持したい。いづれ、今日選ばなかった花園からの尾根道も踏査し、その考察を深めたいと思う。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani14.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="峠会「寒谷峠から大原への古道,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br />谷を更に下り、その姿が明瞭となった大原への古道。脱輪や浸水への備えか、路の両傍に石積や盛土の姿も見られた。薬王坂や比良山中の古道でも類型が見られるものである。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani15.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="峠会「寒谷峠から大原への古道,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br /><br />麓に近づき、谷の大きさも広がる頃には、道の状態も良いものとなった。写真は、その様子である。林道的な道にも見えるが、自動車の轍もない為、風情は長谷の同様区間より秀でている。そのまま時代劇の撮影等にも使えそうである。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani16.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="峠会「井出の土塁関門,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br /><br /><strong>土塁関門。要路の証か</strong><br /><br />谷が大原盆地と接する谷口辺りに達すると、写真の如く谷を塞ぐ土塁が現れた。古道は、その右脇を貫いて下手へと続く。土塁の下手傍には、堰堤工事で廃されたとみられる旧河床が、土塁を援護するが如き様で残存していた。<br /><br />古い時代の関門跡であろうか。山への侵入を防ぐ要所なので、可能性はある。その防御方向からすると、大原より岩倉側勢力による備えとも見られるが如何であろうか。何れにせよ、このルートの重要性を示唆する貴重な物証となり得るものと言えよう。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani18.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="峠会「大原井出集落に続く古道,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br /><br />謎の関門より程なくして山間を抜け、田圃広がる平地へ出た。大原盆地到達である。写真はその時の様子。大原側最寄り集落である「井出」付近の一景である。<br /><br />舗装された現代路と化したが、古道は井出集落を越えて更に北へと続く。予報通り、ここに来て少し天気が危うくなってきた。まあ、あとはバスターミナルへ向かうだけなので、もはや問題にはなるまい。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani17.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="峠会「井出集落個人宅のヒメシャガ,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br />井出集落外れの古道沿いの民家庭に咲くヒメシャガ。庭の手入れをしていた、その家の婦人に峠会面々が招かれて――。暫しの庭園観賞である。こういった偶然や出会いも、屋外活動の醍醐味。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_05_05/samutani19.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="峠会「大原の旧道橋,岩倉と大原を結ぶ古道」" /><br />大原盆地北方の高野川に架かる戦前製とみられる橋。旧道のものであるが、私が想定している岩倉からの古路線は、ここを渡らず北方と連絡する。<br /><br /><strong>大原BT着。峠会終了！</strong><br /><br />さて、古民家残る井出集落を抜け、古道を踏襲する現代路を辿りつつ大原盆地を縦断。やがて、終着地である大原バスターミナルに到着したのであった。ここからはバスに乗り京都市街に帰還。その後、市街の飲食店で打上げ食事会を済ませて日を終えたのであった。<br /><br />今回は移動距離や高低差が結構あり、個人的には予想以上に疲労を感じた行程であった。それでも、良い天候と景色に恵まれ、皆と共に多くの知見・娯楽を得られたのは幸いであった。<br /><br />皆さんお疲れ様でした。有難う……。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>峠会</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
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      <link>http://seiran.ginreido.net/article/55647009.html</link>
      <title>麺会告知</title>
      <pubDate>Thu, 03 May 2012 20:56:29 +0900</pubDate>
      <description>ネイティブ指導の麺食会開催間もなく開催の「峠会」至近（翌週）ではありますが、来る5月12日（土曜）に「麺会」を行います。水練りの小麦食品である「麺食」を手作りし、賞味する集いのため「めんかい」と称しています。今回は、小さめの肉饅頭である「包子（バオヅ）」作りに挑戦します。製作指導は、我流大王の当方（笑）ではなく、本場ネイティブである、南蒙古人女史にお願いします。当日は、成形までの工程を屋内で行い、その後外に持ち出し、屋外にて調理して食す予定です。昨今定番の「バーベキュー」に対..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image/baozi3.jpg" width="400" height="300" border="0" align="" alt="告知「手作り包子（肉まん・肉饅）,麺会告知」" /><br /><br /><strong>ネイティブ指導の麺食会開催</strong><br /><br />間もなく開催の「峠会」至近（翌週）ではありますが、来る5月12日（土曜）に「麺会」を行います。水練りの小麦食品である「麺食」を手作りし、賞味する集いのため「めんかい」と称しています。<br /><br />今回は、小さめの肉饅頭である「包子（バオヅ）」作りに挑戦します。製作指導は、我流大王の当方（笑）ではなく、本場ネイティブである、南蒙古人女史にお願いします。<br /><br />当日は、成形までの工程を屋内で行い、その後外に持ち出し、屋外にて調理して食す予定です。昨今定番の「バーベキュー」に対抗する、屋外宴席の新機軸確立を目指します（笑）。<br /><br />参加希望等、詳しくは連絡をお願いします。<br /><br /><br /><strong>上掲写真：　</strong>蒸し器の中に並ぶ「包子」。2009年某家にて催した際に。我流大王指導の為、姿が悪いのはご愛嬌（笑）。<br /><br /><a name="more"></a>

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]]></content:encoded>
            <category>告知</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
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                      </item>
        <item>
      <link>http://seiran.ginreido.net/article/55540055.html</link>
      <title>峠会再告知</title>
      <pubDate>Thu, 26 Apr 2012 22:00:00 +0900</pubDate>
      <description>「峠会」再開催さきの4月22日に雨天にて延期となった峠会を再開催します。日は黄金週間中の5月5日（土曜祝）、場所は前回告知した京都市左京区岩倉です。近年の俗にいう「鯖街道」の一路線・区間で、岩倉から大原へ抜ける古道とその峠を歩きます。つまり、古の京と、洛北そして若狭・北陸を結んだ道（海道）です。近世以降に主要路となったとみられる高野川沿岸の「八瀬（やせ）」経由ルート定着以前の、主要路ではないか、との推察のもと、その可能性と現在の姿を、春の長閑さ（のどけさ）を味わいつつ探ります..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_04_26/sakahara.jpg" width="400" height="274" border="0" align="" alt="峠会告知「坂原の棚田と大原峠への道,京都市左京区岩倉」" /><br /><br /><strong>「峠会」再開催</strong><br /><br />さきの4月22日に雨天にて延期となった峠会を再開催します。日は黄金週間中の5月5日（土曜祝）、場所は前回告知した京都市左京区岩倉です。<br /><br />近年の俗にいう「鯖街道」の一路線・区間で、岩倉から大原へ抜ける古道とその峠を歩きます。つまり、古の京と、洛北そして若狭・北陸を結んだ道（海道）です。近世以降に主要路となったとみられる高野川沿岸の「八瀬（やせ）」経由ルート定着以前の、主要路ではないか、との推察のもと、その可能性と現在の姿を、春の長閑さ（のどけさ）を味わいつつ探ります。<br /><br />山行ながらも平会（ひらかい）同様の、文化・歴史探訪企画ともなる「準山会的文化企画」です。興味ある方は奮って参加下さい。<br /><br /><br /><strong>詳細</strong><br /><br />開催日：　　 2012年5月5日（土曜祝）<br />時間：　　　　9:30～17:00頃（打上げ不参加の場合）<br />集合場所：　叡山電鉄出町柳駅改札前<br />集合時間：　9:30<br />費用目安：　往復交通費プラス打上げ費（非高級店）<br />行程：　　　　出町柳駅～（叡山電鉄0.5時間）～岩倉駅（旧岩倉中心部）～（徒歩1時間）～山域～（徒歩1時間）～寒谷峠～（徒歩0.5時間）～瓢箪崩山（昼食）～（徒歩1時間）～大原～（徒歩1時間）～大原バスターミナル～（京都バス1時間）～出町柳駅<br /><br /><strong>備考</strong><br /><br />・荒天中止。<br />・距離は10キロ程の行程となります。<br />・各自のペースを尊重し、早い人が遅い人を先で待つ行路スタイルとなります。<br />・京都市街帰着後の打上げ夕食会は未定。<br /><br /><strong>参加条件</strong><br /><br />どなたの参加も可能です。ただ、長時間の徒歩行であること、外の気候条件にさらされること考慮下さい。この峠会は参加費等を徴収する集いではありません。よって何の補償もない自己責任参加となることをご承知下さい。なお、参加希望の場合は事前に<a href="https://ssl.kodama.com/securemail.aspx?id=ejgi91kgq1efgele" target="_blank">メール</a>等でのご連絡をお願い致します。<br /><br /><strong>持ち物その他</strong><br /><br />・飲料（必要分。温かいお茶等推奨。自販機や店の便は不明）<br />・昼食<br />・帽子<br />・手袋<br />・歩き易い靴＆厚手の靴下<br />・雨具<br />・防寒着<br /><br />その他、着替えやタオル、御菓子等は適宜考慮願います。靴は歩き易いものがよいと思います。荷物は極力軽くした方が楽です。<br /><br /><br />以上、何かご不明あれば、<a href="https://ssl.kodama.com/securemail.aspx?id=ejgi91kgq1efgele" target="_blank">連絡</a>願います。<br /><br /><br /><strong>上掲画像：</strong>　「棚田の春・大原への道」。字「大原峠」へと続く岩倉北部の古道にて（今回行くルートとは別路）。右奥に見える山頂の右肩に今回通過予定の「寒谷峠」がある（2011年4月17日撮影）。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>告知</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
                  <enclosure url="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_04_26/sakahara.jpg" length="64026" type="image/jpeg" />
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      <link>http://seiran.ginreido.net/article/55430490.html</link>
      <title>本日峠会有馬温泉</title>
      <pubDate>Sun, 22 Apr 2012 01:33:07 +0900</pubDate>
      <description>峠会延期のお知らせ本日予定していた「峠会」は、強風・強雨の予報により中止となりました。順延ではなく延期です。なるべく近日中、もしくは今季中の開催を考えておりますので、希望の方は宜しくお願いします。上掲写真：　北海道東部の秘境、知床半島にある「カムイワッカ温泉（カムイワッカ湯の滝）」一景。峠会とは何の関りもないが、今日のタイトルにかけて。滝全体、川全体が温泉という、実に日本離れ（？）した秘湯。写真の滝壺はあまり水温が高くない場所だったので、上がり辛かったという思い出があるが、世..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_04_22/kamuiwakka.jpg" width="400" height="299" border="0" align="" alt="告知「カムイワッカ湯の滝,カムイワッカ温泉,知床,北海道,峠会延期」" /><br /><br /><strong>峠会延期のお知らせ</strong><br /><br />本日予定していた「峠会」は、強風・強雨の予報により中止となりました。順延ではなく延期です。なるべく近日中、もしくは今季中の開催を考えておりますので、希望の方は宜しくお願いします。<br /><br /><br /><strong>上掲写真：　</strong>北海道東部の秘境、知床半島にある「カムイワッカ温泉（カムイワッカ湯の滝）」一景。峠会とは何の関りもないが、今日のタイトルにかけて。滝全体、川全体が温泉という、実に日本離れ（？）した秘湯。写真の滝壺はあまり水温が高くない場所だったので、上がり辛かったという思い出があるが、世界遺産指定や落石等で近年立入りが困難になったため、貴重な経験となった。2003年秋撮影。<br /><br /><a name="more"></a>

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]]></content:encoded>
            <category>告知</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
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      <link>http://seiran.ginreido.net/article/55357478.html</link>
      <title>華春手工</title>
      <pubDate>Sat, 14 Apr 2012 22:00:00 +0900</pubDate>
      <description>春の工作花咲きほこる春となったが、今一天候が安定しない今日この頃。気晴らしを兼ね、久々に工作でもすることにした。勿論、気晴らしや遊びの為だけではなく、実用にも適ったもの。以前から、書斎にBGM用の音響システムを入れたかったが、今回はそれ用のスピーカーを作ることにした。音源をコンピューターからひき、ネット上の音楽番組やラジオ配信を随時聞けるシステムの構築を目指したのである。その用途に適うスピーカーは市販品にも多く見られるが、良い音を出すものは結構な値段がする。また、大きさや見た..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_04_14/handmade_speaker3.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="逍遥雑記「タモ材の手作りスピーカー,ハンドメイド,キットスピーカーユニット利用,廃材利用エンクロージャー,handmade speaker」" /><br /><br /><strong>春の工作</strong><br /><br />花咲きほこる春となったが、今一天候が安定しない今日この頃。気晴らしを兼ね、久々に工作でもすることにした。勿論、気晴らしや遊びの為だけではなく、実用にも適ったもの。<br /><br />以前から、書斎にBGM用の音響システムを入れたかったが、今回はそれ用のスピーカーを作ることにした。音源をコンピューターからひき、ネット上の音楽番組やラジオ配信を随時聞けるシステムの構築を目指したのである。<br /><br />その用途に適うスピーカーは市販品にも多く見られるが、良い音を出すものは結構な値段がする。また、大きさや見た目に好みのものがなく、長く使えそうなものも少ない。そんな事情も、手作りの出番を後押しした。<br /><br /><strong>音質に拘ったスピーカー</strong><br /><br />手作りのスピーカーと言えば、以前他所のサイト記事上で製作した居間用の小品があったが、それはあくまでも補助・残響用のサラウンド使用であった為、見た目優先・材料優先のつくりであった。今回は、もう少し音質に拘り、設計・製作することにした。<br /><br />写真は、周波数（音の高低）やインピーダンス（交流抵抗値）特性の模擬値や、部材・穴あけ寸法等を記した簡易設計図。後ろは、手持ちの道産タモ材を切り出して用意したエンクロージャー（スピーカーボックス）部材である。<br /><br />設計が決まり、材料が揃ったので、組立て開始である。果して上手くいくや否や……。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_04_14/handmade_speaker5.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="逍遥雑記「タモ材の手作りスピーカー,ハンドメイド,キットスピーカーユニット利用,廃材利用エンクロージャー,handmade speaker」" /><br /><br /><strong>有難い計算ソフト<br />難なく自由に設計</strong><br /><br />今回の設計目標は、音が良く、極力小さく、そして安価に済ませられること。幸い、費用の過半を占めることが多いエンクロージャー材料費が在庫利用の為かからなかったが、音質良く、かつ小さく作り上げるのは難しかった。<br /><br />因って、スピーカー設計の基本に忠実に倣うこととした。サイズを小さくすることで犠牲になる低音を稼ぐ為「バスレフ」式という簡易増幅構造を採用したが、それには周波数等の算出を行う必要があった。自分で出来ない計算でもなかったが、寸法を変える度に再計算しなくてはならなくなるため面倒であった。<br /><br />しかし、さすがはネット時代。なんと、無料で使える専用の計算ソフトが存在した。有難い限りのこのソフトの存在により、本格的な設計が初めての私でも、難なく、かつ自由な設計が出来たのであった。<br /><br />写真は、側板や内部のバスレフダクト等の各部材を接着して組上げたエンクロージャー。接着後に隙間を木屑のパテで埋め、鉋や紙ヤスリにて調整した後である。スピーカーユニットの取付穴や、底部のバスレフスリットには、削り屑が内部に入らないように目張りを施している。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_04_14/handmade_speaker4.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="逍遥雑記「タモ材の手作りスピーカー,ハンドメイド,キットスピーカーユニット利用,廃材利用エンクロージャー,handmade speaker」" /><br />スピーカーユニット取付穴より見た、エンクロージャー内全面に張られたフェルト<br /><br /><strong>特色もたせた吸音処理</strong><br /><br />スピーカーを分解したことがある人なら知っていると思うが、エンクロージャー内部には、吸音材が入れられていることが多い。これは、箱内部で生じる定常波（定在波）という音に影響する有害現象の発生を防ぐため。簡単に言えば、箱内対角同士で起る反射干渉を抑える仕掛けである。<br /><br />音響の世界では、「基本的には入れるべき」「否、入れない方がいい」という論争もあるようだが、一応今回の工作では、定説に従い、最小限の処置を施す。但し、少し特色を持たせて……。<br /><br />良く見られるような厚手のものを一部に施すのではなく、手芸用の薄いフェルトを、バスレフダクト内以外の、反射が起り得る全ての箇所に貼ったのである。厚くしない代りに、薄く、隈なくという方法である。<br /><br />まあ、結果の成否は実際に音を出してみるまでわからないが、これも学習である。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_04_14/handmade_speaker7.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="逍遥雑記「タモ材の手作りスピーカー,ハンドメイド,キットスピーカーユニット利用,廃材利用エンクロージャー,handmade speaker」" /><br /><br /><strong>高質・安価なマニアック・ユニット発見</strong><br /><br />さて、箱は着々と出来つつあったが、もう1つの肝心物、つまりスピーカーユニット（スピーカー機器単体）はどうするのか。以前の記事では手持ちの廃品を使ったが、今回在庫はない。<br /><br />良品の新品購入も考えたが、相応の費用もかかるし、何か芸がない。そこで色々探して発見したのが、写真のものであった。昨年販売された、あるオーディオ雑誌である。その厚みから、とても雑誌には見えないが、発売当時はちゃんと書店に並んでいたというものである。<br /><br />知る人ぞ知る、この『Stereo』誌の2011年7月号。実は、中には雑誌と共にスピーカーユニットが入っている。スピーカーといっても自分で組み立てなければならない、所謂「キット」であった。<br /><br />雑誌のおまけ的なものとはいえ、マニア向けの為か、有名メーカー製で確かな基本性能を誇っていた。値段も同等完成品の半値以下である（更に雑誌付。笑）。しかも、自分で組み立てることによって、殆ど未知であったスピーカーの内部構造を知ることが出来る――。こうして、定価より更に安くなっていたその新古品を、書店より通販購入したのであった。<br /><br />手間はかかるが、未知のものなので楽しみである。まあ、失敗して鳴らないという最悪のリスクもあったが、私に限ってそのようなことはない、と勝手に断じて踏み切った（笑）。<br /><br />そして、実際届いたそれは、丁寧な解説とハンダ付けすら不要の親切設計により、難なく組み上げることが出来たのであった。早速、キットの外箱を利用した試験用エンクロージャーに付けて鳴らして見ると、中々良い具合に……。少々感動であった。<br /><br />しかし、このマニアックなキット付雑誌。一昨年同時期に初めて販売した際、結構な人気だったらしいが、きっと、購入者は40前後以上の学研世代（『学習と科学』）、ラジオ世代（これは私の主観・偏見）に違いあるまいと断言したい（笑）。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_04_14/handmade_speaker1.jpg" width="400" height="272" border="0" align="" alt="逍遥雑記「タモ材の手作りスピーカー,ハンドメイド,キットスピーカーユニット利用,廃材利用エンクロージャー,handmade speaker」" /><br />完成した手作りスピーカー。内部ダクトを含む総ヤチダモづくり荏油仕上げのエンクロージャーに、FOSTEX社製の8cmフルレンジユニットを搭載<br /><br /><strong>完成！まずまずの出来</strong><br /><br />完成したエンクロージャーの外面に、仕上げの処理として油の塗布を行う。油による仕上げといっても、カタカナ・横文字の今風「オイル・フィニッシュ」ではなく、荏油による伝統的な油引きである。<br /><br />存知の通り、油引きは塗膜を作らない。音響的には塗膜を成す塗料を使用すべきとの説もあるが、ここは折角の木目の良さを活かす方法を採用した。まあ、単純に塗膜系塗装の準備や実行が面倒臭いということもあったのではあるが……（笑）。<br /><br />丸1日程の乾燥工程を挟んで2度ほど荏油を塗布したあと、布で磨き上げて終了。そして、ターミナル（接続端子）の取付けや内部配線等を施し、スピーカーユニットを取付けて完成となった。<br /><br />動力工具はドリルのみという、貧弱な製作環境で作ったので、色々と粗さも見られるが、まあ、悪い感じには見えない。何より、油仕上げによる木目の様、質感がいい。まずまずの成功ではなかろうか。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_04_14/handmade_speaker2.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="逍遥雑記「タモ材の手作りスピーカー,ハンドメイド,キットスピーカーユニット利用,廃材利用エンクロージャー,handmade speaker」" /><br />背面のターミナル部分。一先ず安価な素材を使用したが、一応、高級オーディオ界の常識「バナナプラグ対応」<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_04_14/handmade_speaker6.jpg" width="400" height="295" border="0" align="" alt="逍遥雑記「タモ材の手作りスピーカー,ハンドメイド,キットスピーカーユニット利用,廃材利用エンクロージャー,handmade speaker」" /><br />和室書斎内に設置された手作りスピーカー。その姿はタモという寒地性の樹種によるのか、希望した「和風」というよりは、どこか「欧風」に感じられた。機会あれば、次は欅や檜といった当地材も使用して、和風表現を追求してみたい。<br /><br /><strong>試聴。低音あり木鳴りあり</strong><br /><br />さて、完成したスピーカーを早速部屋に設置してみる。パソコンとの間には、これまた廃品・在庫の小アンプを接続。一部の機能に不具合が生じていたが元は素性の良いものである。<br /><br />音出しの結果は、実に良好であった。問題はなし。驚くべきは、このサイズにも拘らずちゃんと低音が出ていること。ボリュームを絞っても、その傾向に変わりがないのが嬉しい。あまり音量を上げないBGM利用なので、この性質は極めて重要であった。<br /><br />一応、居間のメイン・システムのメーカー製スピーカーとも比べてみる。能率や口径差の関係から、音量や低音量こそ負けるが、音の質は勝るとも劣らない。何というか、木が鳴っている音である。<br /><br />特に中低音に独特の乾いた締まりがあり、木製楽器を弾く人には解ると思うが、単純な箱鳴りではなく、木の芯、「骨」で響き鳴っている感じがするのである。やはり、使用した無垢材の影響であろうか。<br /><br />素性の良いスピーカーは、楽器と同じで、組み上げたあと時間と共に音が良くなるという。ならば、本作も更なる良化が期待出来るかもしれない。楽しみである。また、手間はかかったが、予想外の好結果を得られたので、更に大きなメインスピーカーも製作してみたくなった。<br /><br />陽気到来の春。皆さんも、この様な小さくも華ある手作りに挑んでみるのは如何であろうか。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>手工</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
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        <item>
      <link>http://seiran.ginreido.net/article/55260343.html</link>
      <title>夜桜小宴</title>
      <pubDate>Tue, 10 Apr 2012 23:00:00 +0900</pubDate>
      <description>自然の理。桜咲く春到来春など来るのか――。そんな気にさえなっていた3月末の寒さから一転、4月に入ると、ここ京の街でもその確実な到来を感じられるようになった。桜の開花である。いつもなら、3月末頃よりその兆しが見られるのであるが、今年は全く無し。その為、それへの期待すら失われていたが、やはり自然（じねん）は、その理（ことわり）に忠実であった。ただ、今年は特殊で、3月から順に開花する筈の各種花々が、この時期一斉に咲き始めたかの如き様相を呈した。夜半に花求める春本番たる桜の開花を受け..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_04_10/kamo_yozakura.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="逍遥雑記「賀茂川（鴨川）沿いの夜桜,左京区,京都」" /><br /><br /><strong>自然の理。桜咲く春到来</strong><br /><br />春など来るのか――。そんな気にさえなっていた3月末の寒さから一転、4月に入ると、ここ京の街でもその確実な到来を感じられるようになった。桜の開花である。<br /><br />いつもなら、3月末頃よりその兆しが見られるのであるが、今年は全く無し。その為、それへの期待すら失われていたが、やはり自然（じねん）は、その理（ことわり）に忠実であった。<br /><br />ただ、今年は特殊で、3月から順に開花する筈の各種花々が、この時期一斉に咲き始めたかの如き様相を呈した。<br /><br /><strong>夜半に花求める</strong><br /><br />春本番たる桜の開花を受けて、京都市内は花見の遊山客で連日賑わう。また、他所人のみならず、在住の人もその陽気に誘われ、宴（うたげ）や遊山を企画する。<br /><br />先週末に、1件花見に誘われて顔を出したのを皮切りに、今日も別所でのそれへの誘いを受ける。しかし、今日の1件は諸事あって辞退。<br /><br />だが、折角の花日和を無にするのは忍びなく、用が一段落した夜半、夜桜ではあるが、近所にその姿を求めた。写真はその時の様子。賀茂川（鴨川）河畔の桜である。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_04_10/kamo_yozakura2.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="逍遥雑記「賀茂川（鴨川）沿いの夜桜,左京区,京都」" /><br />同じく賀茂河畔の夜桜。0時を回ったので、11日の景ではあるが……。<br /><br />偶々予定の空いていた近所の友人と落ち合い、桜花の下で暫し細やかな酒宴。そういえば、数年来この辺りで花見を行っていた別の友人からは今年連絡がない。市外への転勤となったので、都合がつき難いのであろうか。今年は例年とは違い、開花後の夜は比較的暖かいため、夜宴の条件には恵まれているのではあるが……。<br /><br />やがて、日付が変わる0時となる。さすがに川風も冷えてきた。そして雨が――。<br /><br />さて、細やかな宴を片して帰るとしよう。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>逍遥雑記</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
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                      </item>
        <item>
      <link>http://seiran.ginreido.net/article/54854033.html</link>
      <title>春季峠会告知</title>
      <pubDate>Sun, 08 Apr 2012 14:00:00 +0900</pubDate>
      <description>この時季ならでは「峠会」今年も開催今年も花咲く頃となりましたが朝晩寒い日が続いています。皆さん如何お過ごしでしょうか（小生は少々風邪気味です）。さて、去年に続き今年もこの時季ならではの企画「峠会（とうげかい）」を催します。日は4月22日（日曜）、場所はこれまた去年に続き京都市左京区岩倉です。前回と同じく、山へ行きますが本来的な山道とは違う古道と、それが越す峠をゆく催しです。今回の古道と峠は、岩倉から大原へ抜けるもの。つまり、古の京と、洛北そして若狭・北陸を結んだ道です。近世以..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_04_08/iwakura_sakura.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="告知「古道沿いの溜池の春,岩倉地区,峠会告知」" /><br /><br /><strong>この時季ならでは「峠会」<br />今年も開催</strong><br /><br />今年も花咲く頃となりましたが朝晩寒い日が続いています。皆さん如何お過ごしでしょうか（小生は少々風邪気味です）。<br /><br />さて、去年に続き今年もこの時季ならではの企画「峠会（とうげかい）」を催します。日は4月22日（日曜）、場所はこれまた去年に続き京都市左京区岩倉です。前回と同じく、山へ行きますが本来的な山道とは違う古道と、それが越す峠をゆく催しです。<br /><br />今回の古道と峠は、岩倉から大原へ抜けるもの。つまり、古の京と、洛北そして若狭・北陸を結んだ道です。近世以降に主要路となったとみられる高野川沿岸の「八瀬（やせ）」経由ルート定着以前の、主要路ではないか、との推察のもと、その可能性と現在の姿を探ります。<br /><br />その為、前回の説明通り、山行ながらも平会（ひらかい）同様の、文化・歴史探訪企画ともなる「準山会的文化企画」となります。興味ある方は奮って参加下さい。<br /><br /><br /><strong>詳細</strong><br /><br />開催日：　　 2012年4月22日（日曜）<br />時間：　　　　9:30～17:00頃（打上げ不参加の場合）<br />集合場所：　叡山電鉄出町柳駅改札前<br />集合時間：　9:30<br />費用目安：　往復交通費プラス打上げ費（非高級店）<br />行程：　　　　出町柳駅～（叡山電鉄0.5時間）～岩倉駅（旧岩倉中心部）～（徒歩1時間）～山域～（徒歩1時間）～寒谷峠～（徒歩0.5時間）～瓢箪崩山（昼食）～（徒歩1時間）～大原～（徒歩1時間）～大原バスターミナル～（京都バス1時間）～出町柳駅<br /><br /><strong>備考</strong><br /><br />・荒天中止。<br />・距離は10キロ程の行程となります。<br />・各自のペースを尊重し、早い人が遅い人を先で待つ行路スタイルとなります。<br />・京都市街帰着後の打上げ夕食会は未定。<br /><br /><strong>参加条件</strong><br /><br />どなたの参加も可能です。ただ、長時間の徒歩行であること、外の気候条件にさらされること考慮下さい。この峠会は参加費等を徴収する集いではありません。よって何の補償もない自己責任参加となることをご承知下さい。なお、参加希望の場合は事前に<a href="https://ssl.kodama.com/securemail.aspx?id=ejgi91kgq1efgele" target="_blank">メール</a>等でのご連絡をお願い致します。<br /><br /><strong>持ち物その他</strong><br /><br />・飲料（必要分。温かいお茶等推奨。自販機や店の便は不明）<br />・昼食<br />・帽子<br />・手袋<br />・歩き易い靴＆厚手の靴下<br />・雨具<br />・防寒着<br /><br />その他、着替えやタオル、御菓子等は適宜考慮願います。靴は歩き易いものがよいと思います。荷物は極力軽くした方が楽です。<br /><br /><br />以上、何かご不明あれば、<a href="https://ssl.kodama.com/securemail.aspx?id=ejgi91kgq1efgele" target="_blank">連絡</a>願います。<br /><br /><br /><strong>上掲画像：</strong>　「池畔の春」。岩倉の古道沿いにて（今回行くルートとは別路。2011年4月17日撮影）。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>告知</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
                  <enclosure url="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_04_08/iwakura_sakura.jpg" length="75786" type="image/jpeg" />
                      </item>
        <item>
      <link>http://seiran.ginreido.net/article/54743848.html</link>
      <title>断髪夜会</title>
      <pubDate>Sun, 25 Mar 2012 22:00:00 +0900</pubDate>
      <description>秘密演奏会開催古びた壁面に突如現れた人影。床上の椅子に比してあまりに巨大な姿が、その謎めきを深化させる。足先消えるその正体は、果して怪異・神妙の類か――。当然ながら、その様な奇怪の業ではなく、やがて影の実体である人が登場。知己のCさんで、舞台での舞踏演技の始まりであった。先程の大きな影は、その開始前に舞台から離れた場所にて準備した際現れた偶然の産物であった。Cさんのソロステージの後は、今日の主役であるK君らのバンドのライブ。写真はその模様である。実は、今日はライブハウスのスケ..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_25/danpatu1.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="催事（友人其他）「壁面の人影,断髪ライブ」" /><br /><br /><strong>秘密演奏会開催</strong><br /><br />古びた壁面に突如現れた人影。床上の椅子に比してあまりに巨大な姿が、その謎めきを深化させる。足先消えるその正体は、果して怪異・神妙の類か――。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_25/danpatu2.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="催事（友人其他）「舞踏ダンサーの登場,断髪ライブ」" /><br /><br />当然ながら、その様な奇怪の業ではなく、やがて影の実体である人が登場。知己のCさんで、舞台での舞踏演技の始まりであった。<br /><br />先程の大きな影は、その開始前に舞台から離れた場所にて準備した際現れた偶然の産物であった。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_25/danpatu3.jpg" width="400" height="269" border="0" align="" alt="催事（友人其他）「Dodo,断髪ライブ」" /><br /><br />Cさんのソロステージの後は、今日の主役であるK君らのバンドのライブ。写真はその模様である。実は、今日はライブハウスのスケジュールにも掲載されない、この身内限定のシークレットライブに招待されたのであった。<br /><br />場所は京都市内の某ライブハウスである。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_25/danpatu4.jpg" width="281" height="400" border="0" align="" alt="催事（友人其他）「Dodoのライブ終了後のK君の挨拶,断髪ライブ」" /><br /><br />やがて、K君たちの人柄にも似た、穏やかで温かい楽曲を聞かせてくれたバンド演奏が終る。すると、ベースギター担当で、一応フロントマンではない筈のK君が前に出て、何やら挨拶を始めた。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_25/danpatu5.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="催事（友人其他）「Dodoのライブ終了後のK君,断髪ライブ」" /><br /><br /><strong>最期の一服？</strong><br /><br />その後、何故か上着を脱ぎ、独りビニールが敷かれた椅子に座す。手には洋酒と煙草が与えられ、まるで何かを観念したかの如く、ひたすら煙草を燻らし、洋酒を口に運ぶ。<br /><br />恰も最期の一服・一杯の風情である。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_25/danpatu6.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="催事（友人其他）「バリカンで刈られるK君,断髪ライブ」" /><br /><br />そして、何と写真の如き事態に……。座したまま、煙草・洋酒を口にしたまま、バリカンで髪を刈られているのであった。<br /><br /><strong>秘密催事の主体「断髪式」</strong><br /><br />実は、今日の秘密催事の主旨・目的は、K君のこの断髪にあった。K君は実家の都合等で、明日から年単位の僧侶修行に出ざるを得なくなったという。よって、長らく続けてきた演奏活動を休止せざるを得なくなったのである。<br /><br />今回の断髪は、その事情への対応とその告知、そして、それによる自身と所属バンドの活動に区切りが生じることを記念するものであった。正に断髪式――。そして、それは、写真の如く、バンド仲間や友人達により、順番に、そして丁重に進められていったのであった。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_25/danpatu7.jpg" width="279" height="400" border="0" align="" alt="催事（友人其他）「断髪後のK君,断髪ライブ」" /><br />友人・仲間たちの手による断髪が済み、挨拶するK君<br /><br />剃刀も用意されていたが、一先ずはバリカンだけでも、それらしい姿となった。その後、また本人から事後の挨拶があったが、早くも僧侶じみた説教臭い話しぶりに、会場からは冷やかす声も出た（笑）。<br /><br />とまれ、K君。色々とお疲れ様でした。良い演奏と楽しい機会を有難う。修行の方も頑張って下さい（適度に）。またの活躍、期待しています！<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>催事（友人其他）</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
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      <link>http://seiran.ginreido.net/article/54653953.html</link>
      <title>府北古家行</title>
      <pubDate>Sun, 18 Mar 2012 22:00:00 +0900</pubDate>
      <description>古家アドバイザー出動今日は珍しく知人の車に同乗して外出。向かったのは、これまた珍しい京都府北部地域であった。実は、4月からその知人が府北部の舞鶴にて仕事を始めることとなった。そして、それを機にどうせなら現地の古民家に住んでみようとの計画が本人により成された。そこで、色々と候補が挙げられていたそれら貸家の見定めを、請われて私が行うこととなったのである。「構造や土地に欠陥はないか」「改善の可不可やその手間具合はどうか」、また「建物の良さや面白さはどうか」等々、そこで暮すことを前提..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_18/ayabe_maizuru1.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="紀行「菅坂峠舞鶴側斜面の霞,舞鶴,綾部」" /><br /><br /><strong>古家アドバイザー出動</strong><br /><br />今日は珍しく知人の車に同乗して外出。向かったのは、これまた珍しい京都府北部地域であった。<br /><br />実は、4月からその知人が府北部の舞鶴にて仕事を始めることとなった。そして、それを機にどうせなら現地の古民家に住んでみようとの計画が本人により成された。そこで、色々と候補が挙げられていたそれら貸家の見定めを、請われて私が行うこととなったのである。<br /><br />「構造や土地に欠陥はないか」「改善の可不可やその手間具合はどうか」、また「建物の良さや面白さはどうか」等々、そこで暮すことを前提に、実際的に古民家を評価する、言わば「古家アドバイザー」としての出動であった。<br /><br />古家暮しを実践し、家の立地や集落を解明する歴史地理等にも通じた私の、諸々の知識・技能が頼りにされたようである。<br /><br /><br /><strong>上掲写真：　</strong>旧国界でもある綾部市と舞鶴市を隔てる天険「菅坂峠」道の山林の霞。急に暖かくなった気候に因るのか、日本海の湿った気流が成す業かは不明だが、今回の府北行を印象づける、幻想味ある眺め。等伯「松林図」の風情か。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_18/ayabe_maizuru2.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="紀行「上林川の渓谷,綾部市」" /><br /><br /><strong>若狭街道・上林川流域</strong><br /><br />舞鶴市手前の綾部市というところまで高速道路を使い、あとは候補の古民家が点在するという両市山間部の一般道を走る。途中、目についた史跡等があれば、暫し下車して見学。<br /><br />写真は、ある祠の裏手にて出会った一景。福知山や綾部市街と小浜方面を結ぶ、古の「若狭街道」沿いを流れる上林川という川の渓谷であった。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_18/ayabe_maizuru3.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="紀行「八津合の八幡宮の鳥居,綾部市」" /><br /><br />続いて、同じく街道沿いに、笠木の反りも雄々しい壮大な鳥居を発見。八津合という地区の総鎮守「八幡宮」のものであった。<br /><br />案内板によると、この鳥居は文久2（1862）年の再建とのこと。その他、奥には同じく江戸期築の豪壮な社殿等もあり、中々見応えのある社となっていた。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_18/ayabe_maizuru4.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="紀行「山間部の集落と古民家,綾部市」" /><br /><br /><strong>舞鶴・綾部市境山間部</strong><br /><br />やがて、候補民家がある市境付近の山間部へと入る。写真は、更に新たな候補も探しつつ達した支流谷の集落。<br /><br />急斜屋根を持つ茅葺鋼板覆いの古民家の姿が見える。峠に近い為、標高が高い為、未だ多くの残雪に覆われる冬の姿。全く寒さのない日ではあったが、畑や庭木そして山の樹々共々、春到来は遥か先の如くに感じられた。<br /><br />過疎化の影響か、この集落に限らず一帯は空き家が多いらしい。綾部市も積極的に移住希望者への仲介を行っているとのことだが、見ての通り、想像の通り、冬は名うての豪雪地帯。<br /><br />よって、幾ら峠道が改修されたとはいえ、その時期本番に谷越え・山越えの通勤は無理ではないかと忠告。本人も納得し、峠を越え下った舞鶴市内の候補地に移動することとした。家々も良く、清らかな川や山々に恵まれ申し分ない場所なのだが、こればかりは仕方あるまい。<br /><br />そういえば、今季の大雪の影響か、地区内にて軒や庇が壊れた家が目についたのも印象的であった。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_18/ayabe_maizuru5.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="紀行「山間部集落の土蔵と残雪から立ち上る白煙,綾部」" /><br />綾部・舞鶴市境付近の山間集落の古民家横に佇む土蔵<br /><br />比較的温暖な外気との差に因るか、または残雪の冷気か、方々で白煙が立ち上る。雪国でのある時期、ある機会でしか見られない、我々には珍しく、不可思議な光景。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_18/ayabe_maizuru6.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="紀行「菅坂峠の道より遠望した舞鶴湾と東舞鶴市街,舞鶴市」" /><br />菅坂峠の道より遠望した舞鶴湾と東舞鶴市街（帰途の夕刻撮影）<br /><br />数年前に改修され通行し易くなったという市境の峠道を越え、東舞鶴へと入る。その市街地や郊外にて、候補の古民家や古家を訪ねる。重要港湾に寄り添った古くからの街のため、色々な物件を目にすることが出来た。<br /><br />そういった意味で、まだまだ良い選択が可能な地ではあったが、引越し等の準備が迫っている為、一先ずは郊外集落のうちの1軒に決定（私は立地・建物以外の理由で反対）。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_18/ayabe_maizuru7.jpg" width="400" height="270" border="0" align="" alt="紀行「光明寺仁王門,綾部市」" /><br /><br /><strong>厳しい深山の寺</strong><br /><br />舞鶴市街にて軽食後、元来た道を辿る帰路に。綾部山間部の温泉施設入りを誘われた為、そこへと向かうが、途中「国宝仁王門」の看板を発見。<br /><br />国宝といえば、若狭（福井）側に残存する幾つかをその昔見学したことがあったが、この辺りにあるとは知らなかった。よく気づいたものだと知人に感心されながら、一先ず寄ってみることにした。<br /><br />途中、落石や倒木がかかる細道をひたすら上っていく。やがて道の終点を兼ねる山上の駐車場に着き、そこからは徒歩で石段上り。そして辿り着いたのが、霞がかる写真の仁王門であった。<br /><br />光明寺という真言醐山派の山寺の門で、棟札から宝治2年(1248)の建造が判明しているという貴重なもの。府北部も多分に漏れず戦国動乱での被災が多かった為、同地唯一の国宝建造物となったようである。<br /><br />先日探索した如意寺月輪門等の「楼門」と似るが、1階部分に屋根がつく「二重門」という形式。屋根は栩葺き（とちふき）という、栗の板を用いた珍しい仕上げがされている（「栩」は本来くぬぎの意）。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_18/ayabe_maizuru8.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="紀行「君尾山光明寺本堂,綾部」" /><br /><br />光明寺は仁王門だけが焼け残ったとされる通り、近隣に伽藍は見られない。ただ、門内の参道両脇等には嘗ての堂跡を示すと見られる平坦地が無数に残存していた。<br /><br />それらを抜けて、最も奥地、最も高所にあったのが、写真の本堂であった。江戸末期の天保7（1836）年に再建されたものだという。深山の冬に耐えてきたその様に感じ入り、賽銭でも入れようかと思ったが、残雪が多すぎて堂前に近づけなかった。<br /><br />尾根につけられた参道からは逸れた場所にあるので、本来の本堂跡は別所にあるかもしれないと思ったが、果してどうか。とまれ、如意寺等と比べ、格段に厳しい辺境の深山にて建造・運営された寺について、暫し想いを巡らす。<br /><br /><strong>温泉にて入浴・休息後帰還</strong><br /><br />寺を離れ、麓の温泉に着く頃には、辺りはすっかり夕闇に。まだ新しく見えた立派な温泉施設にて、入浴と休息を行い、無事京都市街に帰還したのであった。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>紀行</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
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      <link>http://seiran.ginreido.net/article/54442663.html</link>
      <title>続幻寺探訪</title>
      <pubDate>Sun, 11 Mar 2012 22:00:00 +0900</pubDate>
      <description>廃寺探索再び予想以上の収穫得る先月5日の続編的に行われた如意ヶ嶽（現大文字山及び如意ヶ嶽）山中での古代・中世廃滅寺院の探索行。春を間近にした「寒の戻り」の影響が心配されたが、無事終了することが出来た。そもそも、前回の探索により生じた疑義・問題点に対する再調査を目的とした今回の探査。実に予想以上の、驚くべき収穫を得ることが出来た。ところで、今日3月11日といえば、言わずと知れた去年発生の大震災同日。家周辺への出入りを朝から夕方まで遮断する迷惑なマラソン大会への抗議とそれからの退..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin1.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「如意ヶ嶽山中の古い石垣（堰堤）,山城,山岳寺院遺跡,古代,中世,如意ヶ嶽（大文字山）」" /><br /><br /><strong>廃寺探索再び<br />予想以上の収穫得る</strong><br /><br />先月5日の続編的に行われた如意ヶ嶽（現大文字山及び如意ヶ嶽）山中での古代・中世廃滅寺院の探索行。春を間近にした「寒の戻り」の影響が心配されたが、無事終了することが出来た。<br /><br />そもそも、前回の探索により生じた疑義・問題点に対する再調査を目的とした今回の探査。実に予想以上の、驚くべき収穫を得ることが出来た。<br /><br />ところで、今日3月11日といえば、言わずと知れた去年発生の大震災同日。家周辺への出入りを朝から夕方まで遮断する迷惑なマラソン大会への抗議とそれからの退避もありこの日開催としたが、とまれ大惨事の1周年。先ずは、犠牲者方々への哀悼と、未だ苦難に在る被災者方々への見舞いの意を表したい。<br /><br /><br /><strong>上掲写真：　</strong>如意ヶ嶽山中の沢筋にて発見した古い石垣。古道の路盤と護岸を兼ねている。沢中の石積み堰堤や、その背後の巨大な閉塞土塁と接することから、古い防御施設並びに貯水施設遺構の一部である可能性が窺える。京都市内ながら、遺跡・史跡としての指定等は全くなされていない（訂正：最新の遺跡地図では如意寺遺構の範囲内に含まれていることが判明）。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin2.jpg" width="285" height="400" border="0" align="" alt="山会「若王子同志社墓地,新島襄墓所,若王子山,東山,京都市左京区」" /><br /><br /><strong>今回は若王子入山。新島墓も参拝</strong><br /><br />今日の如意寺探索は、その「正統道程」であり、前回も辿った鹿ケ谷からではなく、少々南方の若王子（にゃくおうじ）から始めることとなった。若王子神社奥の登山口から東山に入り、南北に続くその稜線に上がって、北接する如意ヶ嶽山中に広がる遺構群に接するという行程である。<br /><br />鹿ケ谷とは違い、遺構までの道程に如意寺との関連は見られないが、待合せの便や2度目の人の気分転換を図り採用した道程であった。<br /><br />写真は入山後暫くして現れた墓所。同志社大学の若王子墓地で、同大学の創設者である新島襄やその親族の墓石が並ぶ、墓地の中核域である。同大在学中である参加者のW君に、新島墓の存在を伝えると、暫し神妙に参拝。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin3.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="山会「東山の不自然な尾根道,大日山城,中世」" /><br /><br /><strong>山城関連？爽やかな人為的尾根道</strong><br /><br />同志社墓所からは、いよいよ山道風情・登坂も本格化。そして東山の稜線に出る。写真は、それを如意ヶ嶽方面へ向かい北上する途上にて出会った景。<br /><br />陽が射して気温も上がったか。爽やかで良い場所なのだが、市街よりマラソンのお祭り騒ぎが聞えるのは頂けない。<br /><br />この爽やかな尾根道。丁度、山上が窪む鞍部に相当する場所にあるが、路面高が均一で、路肩が切られたかのようになって両脇の平坦地に落ちている。実に人為的な観がある場所。如意寺遺構との関連は薄く、遺跡地図にも記されていないが、南方近くの同路上に「大日山城」という戦国期の山城遺構が存在することから、それとの関連も考えられる。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image_etc/now_printing.gif" width="400" height="267" border="0" align="" alt="画像準備中＆現在非公開｜NOW PRINTING" /><br /><br /><strong>早々の発見か</strong><br /><br />東山の尾根道を辿り、如意ヶ嶽山中に入る。そして最初の疑問点であった「檜尾古寺（ひのおのふるてら）」を調査。<br /><br />檜尾古寺は、安祥寺（上寺）が如意ヶ嶽南方山上に造られた際に記された9世紀半ばの史料（「檜尾寺」と同一とすると『文徳実録』の2所）のみに現れる詳細不明の古代寺院。史料に記された場所から、後に如意寺境内となる地にあった前身寺院とも考えられ、古図上での特異な姿や出土遺物から、如意寺「西方院」跡をその推定地と見做すことが有力視されている。<br /><br />しかし、私はこの埋文研その他の見解に少々疑問を感じていた。それは西方院が谷中にあったからである。檜尾古寺の「檜尾」とは地貌を指した名だと思われる。つまり、そこは谷ではなく、尾根上にあると思われたのである。隣接する安祥寺上寺も、史料上「松尾」という名で記される尾根上の造成地に設けられている。<br /><br />また、西方院推定地を実見した際、狭く閉ざされたその場所に寺院の中核が定められたことを疑問に感じた、ということもあった。<br /><br />そこで、この檜尾古寺に相応しい場所を、我々独自に探索することにしたのである。そして、発見が早々に訪れた。それは、これまで言及されたことがない遺構面であった。<br /><br />果してそれは本当に古代の痕跡なのか――。更なる証拠を求めて更に探索は続く。<br /><br /><strong>発見の可能性を確信<br />継続調査決定</strong><br /><br />そして間もなく、寺院等にとっての重要な付属施設跡とみられる確かな痕跡を発見。また、幾つかの遺構面やそれらに関連する設備跡らしきものも発見した。極めつけは、幹事Yによる正に古代の遺物らしきものの発見である。<br /><br />これらにより、我々は自らの発見の可能性を確信し、この件について今後更なる調査行うことを決定した。ただ、画像や遺構詳細は、遺構・遺物の破壊や盗難を防ぐ為、調査が終了し、管轄部署に報告を提出するまでは公表を控えることにしたのであった。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin9.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「如意ヶ嶽山中の土塁関門,山城,山岳寺院遺跡,古代,中世,如意ヶ嶽（大文字山）」" /><br /><br /><strong>謎の人跡</strong><br /><br />やがて檜尾古寺の調査地を離れ、如意寺遺構の未踏地へと向かう。その途中発見したのが、写真の土塁遺構であった。<br /><br />それは、中央を貫く沢部分を残して谷を閉塞するという壮大なもの。高さ、厚み共に5m以上はあろうか。本稿最上部の写真にて紹介した石積遺構に接するもので、古い水利施設か山城等に関連した関門遺構と想定された。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin10.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「如意ヶ嶽山中の土塁関門の石垣,山城,山岳寺院遺跡,古代,中世,如意ヶ嶽（大文字山）」" /><br />謎の土塁断面<br /><br />上流側である左斜面を覆う石積が見える。石を用いた丁寧かつ高度な施工なので、やはり近世以降の水利施設か。古道沿いにあり、これ程目立つ存在でありながら、遺跡地図等の資料にその記載を見ない謎の人跡である。<br /><br />鹿ケ谷にある如意寺「宝厳院」遺構の近くに、古い貯水遺構らしき存在が報告されているので、1度比較してみるのも手かもしれない。まあ、埋文研によると、そちらも詳細不明らしいのではあるが……。<br /><br />なお、参加者からは、下流側に接する高さの低い堰堤跡らしき石積廃墟（<a href="http://kyoto-folkgeo-club.sblo.jp/article/54541384.html" target="_blank">写真はこちら</a>）があるので、貯水しながら沢筋から侵入する敵を防ぐ複合施設だったのではないか、との意見も出された。<br /><br /><strong>地図に現れたこの場所の特異性</strong><br /><br />目につくものながらも関係機関は黙殺、そして凝った施工……。期待薄れる中にて如意寺遺構への道程確認のため地形図に眼を落すと、興味深いことに気づいた。それは、この土塁が開る（はだかる）沢の上流に接続する谷や尾根の大半が如意ヶ嶽山頂直下に接続することであった。逆に下流側のそれらは山頂から遠ざかる為、この場所はその境となっていたのである。<br /><br />如意ヶ嶽山上とは、即ち「如意ヶ嶽城」の主郭部分である。つまり、ここは標高の低い場所でありながら、戦略上極めて重要な場所だったのである。<br /><br />これにより、たとえこの人跡が近世以後の遺構としても、中世以前の遺構を継承した可能性があることを、十分に想定させてくれたのであった。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin11.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「如意ヶ嶽山中の道のない広谷」" /><br />如意ヶ嶽山中の広谷をゆく<br /><br />謎の人跡を離れ、如意寺遺構へと向かう。道のない谷をひたすら進むが、地理に明るく読図に長けた我々には難ない行程。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin12.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「如意寺正寶院推定地,藤尾口,山岳寺院遺跡,古代,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>境内最大の平坦地<br />谷を埋める大造成跡</strong><br /><br />途中昼食休憩をとり、その後、前回未踏の如意寺「正寶院」推定地に入る。山科盆地北東を流れる四ノ宮川の源の1つ、藤尾川上流に広がる遺構群である。<br /><br />谷中のそこに達すると、写真の如く、谷底を埋めるが如き平坦地が現れた。それは、中心を通る道の両側に、土壇を成す形で延々と続く。下降して谷が広がるにつれ、その広さもかなりなものとなった。<br /><br />予想外の規模である。平坦地の広さとしては、ここが境内最大ではなかろうか。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin13.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「如意寺正寶院推定地の大土壇,藤尾口,山岳寺院遺跡,古代,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />そして、写真の如く、突如落差10m以上の急斜に遭遇した。下部から見上げると、上部の平坦地が、如何に膨大な量の土砂で成されているのかが判った。<br /><br />また、急斜の途中や、その端の方にも平坦地があり、谷の斜面も削られた跡があるなど、至る所に人為の跡が見られた。<br /><br />相当な土木工事である。以前より、山上の伽藍工事の際に出た土砂の行方について気になっていたが、ひょっとすると、この谷の工事に使用されたのかもしれない。<br /><br />埋文研などの見解では、山上の平坦地は掘削土を前方に出してその面積の増加を図っているとするが、ただでさえ急斜の山上でそれを行うには、中世以前には技術的に困難であった高石垣の技術で土留めを行わなければ危険と思われる。実際、高石垣は発見されておらず、また単純に土を足した場合に起り得る筈の大規模崩落も見られないのである。<br /><br /><strong>里坊としても機能か</strong><br /><br />あと、この場所に対する土地選定の妙も窺われた。この急斜を含む長さ200m程の平坦地群より下は、本堂より続く沢などの影響もあり谷に水流が現れるが、平坦地内にはその痕跡は殆ど見られない。例外的に水気がなく、施設の立地に好都合な安定した谷を選んで、大規模な造成が行われたようである。<br /><br />この巧みに造られた広大な遺構地帯は、寺に関わる人々の里坊としての機能もあったのではないか、とも思わされた。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin15.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「如意寺正寶院推定地の漆喰井戸跡,藤尾口,山岳寺院遺跡,古代,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>正寶院推定地と漆喰井戸跡</strong><br /><br />本堂からの沢が谷に入った後も平坦地は続く。そこに、幅20m、長さ50mという、この地区最大の平坦地があった。埋文研等が推定する正寶院推定地である。ここも、土地の長さや広さを稼ぐため、相当の土砂が使用されている。<br /><br />その為、敷地下流側は、かなりの高さの土壇としての威容を晒している。この様は、正に古図（<a href="http://seiran.ginreido.net/article/53494505.html" target="_blank">前回掲載の画像参照</a>）に見える、崖上に聳える正寶院の姿そのままである。南面する堂の方位とも合致しているため、確率は高いといえるのではないか。<br /><br />写真は、その敷地の上手側端部（沢側）に残存する大きな井戸跡。埋文研によると、縁を漆喰で固めたものだという。別の平坦地で発見された同型の井戸より大きなこの井戸の存在も、ここを正寶院跡とする説を補強するものではなかろうか。<br /><br /><strong>「藤尾門」探索</strong><br /><br />正寶院推定地より更に谷を下り、幾つかの平坦地を観察。林道と合する更なる下流にも遺構は続くようだが、その手前の平坦地を最後とした。<br /><br />その他、この道沿いにあったとされる「藤尾門」の跡も探すが、相応しい場所は得られなかった。埋文研のK氏は、谷口、つまり藤尾集落の里口となる藤尾神社辺りを推定されていたが、古図では谷を閉塞するように描かれているので、私はもう少し谷中にあったと考えている。<br /><br />この件は、また機会がある時にでも、藤尾側からのアプローチ採るなどして調査したいと思う。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin16.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="山会「如意寺正寶院推定地より本堂推定地への道,藤尾口,山岳寺院遺跡,古代,中世,如意ヶ嶽」" /><br />正寶院推定地から本堂推定地への道なき道をゆく<br /><br />林道際より本堂の沢口まで引き返し、その上流にある本堂推定地へと向かう。谷口には幾つかの平坦地が続き、その中には、大石を立て並べた庭園遺構とされるものの姿も見られた。<br /><br />しかし、それより先の上手はかなり荒れており、通行困難地と化した。足下には石積等の人跡が続くが、倒木や藪、崩壊等が多く、嘗ての表参道の面影はなかったのである。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin17.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「如意寺本堂推定地直下にある古道の石積,山岳寺院遺跡,古代,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>本堂推定地区へ</strong><br /><br />藪を分け、崩れや倒木を迂回して、漸く開けた場所に出る。写真の、如意寺本堂推定地直下である。斜面の上部に見える明るい場所が本堂推定地、下部にある石積が講堂方面へと向かう古道の路盤である。<br /><br />石積を含むこの斜面は埋文研により詳細に調査されている。その報告によれば、石積の左下辺りから本堂平坦地へ直上する石段跡らしきものが検出されたという。<br /><br />それから推察すると、この場所は表参道や山上要路の幾つかが交差する交通要所だったようである。私は、この場所に、山上の諸堂下を経つつ園城寺と鹿ケ谷（つまり都）を結ぶ「往還路」が通っていたのではないかと推測している。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin18.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「如意寺東門独自推定地,山岳寺院遺跡,古代,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>東門推定地を独自調査</strong><br /><br />さて、前回も訪れた本堂推定地区に態々悪路を越えて来たのは2つの疑問を調べる為であった。その1つは古図に描かれた「東門」の位置である。<br /><br />現在、埋文研等が推定するその場所は、先程通過した表参道の下部、即ち正寶院推定地区となっている。しかし、東の門であるそれを、本堂南下の藤尾口にあるとすることには疑問を禁じ得ない。<br /><br />調べてみると、埋文研の推定根拠は、『修造用脚員数事』という南北動乱罹災後の修復計画記事上、正寶院の隣に記されている、ということのみであった。しかし、他院の記述から、必ずしも順番に記載されているとは言えず、本堂地区を示す「如意寺」の範囲内に本堂やその他共々と記されていることから、隣に記載されていても、それが接しているとは限らないことが判明した。<br /><br />そもそも、古図の東門は、表参道下のような谷中ではなく、尾根上か平坦地端部のような高燥地めいた場所に描かれている。また、南面することがほぼ確実に判明している諸堂の向きに対して、東寄りに描かれているということもあった。<br /><br />では、東門はどこにあったのか。東門は月輪門等の「楼門」に比して略式簡素な「棟門」として描かれており、内門として園城寺とを結ぶ山上通路上にあった筈である。園城寺作成・所蔵の『如意寺図説』という史料（伽藍の記述等には粗さも見られるが）にも、園城寺の裏山を西行して東門から本堂地区に入ることが記されている。<br /><br />よって、園城寺から直接本堂地区に至ることが可能な場所を探ってみた。そして発見したのが、ある平坦地際にあった写真の場所である。平坦地の端を区切る尾根が切られて通路となっている。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin19.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「如意寺東門独自推定地から東へと続く古道,山岳寺院遺跡,古代,中世,如意ヶ嶽」" /><br />本堂地区際の切通しから園城寺方面へと続く古道<br /><br />ほぼ東向きのその通路を外側（東）へ出てみると、なんと山腹を巻きながら東へと続く古道の姿があった。地図で調べると、この道は途中林道により途絶しているが、如意ヶ嶽と園城寺裏山との要衝鞍部に接続されていた可能性が高いと思われた。<br /><br />そして、通路内側は平坦地群を抜けて先ほど観察した本堂下の石積路と接続していた。やはり、東門はここにあったのではないのか――。確定には更なる調査が必要だが、一応参考までに紹介しておく。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin20.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「如意寺法華堂・講堂推定地,山岳寺院遺跡,古代,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>講堂推定地を再考</strong><br /><br />2つ目の疑問は、本堂傍にあった重要施設「講堂」の位置について。発掘調査の結果から、講堂の位置は本堂推定平坦地より一段東下にある平坦地上に推定することが有力となっている。しかし、古図では、本堂と同じ平面上の、三方が切れ落ちた台地上に描かれていた。同様の立地にある西側の常行堂や三重塔は古図に近い推定であるのに対し、講堂のみが違うのはおかしい、と感じたのである。<br /><br />埋文研の講堂位置推定の根拠の1つとなっていると思われるものに、本堂同一面立地とした場合の東側平坦部の狭さがある。確かに現状は狭く、講堂と組で描かれた比較的小型の法華堂しか想定は出来ない。<br /><br />しかし、再度現地を観察してみると、狭いと思われたその場所が、土砂崩落に見舞われていることが判明した。写真がその姿で、現存の平坦面である右端の道やその奥の空地に向かって、左側から大量の土砂が流れ込んでいるのが判る。中央奥に見える、本来の掘削面と思われる切り落とし箇所との位置関係からも、平坦部が如何に土砂により損なわれいるかが判明したのである。<br /><br />これにより、本堂と同一面への講堂推定が可能となった。現在埋文研等が推定している講堂は、古図のものより後代に造られたか（実際その基壇は14世紀以降に古い瓦礫等を利用して成されたという）、別の建造物である可能性も生じたのである。<br /><br /><strong>一服。自転車での合流</strong><br /><br />講堂位置調査の後、本堂推定地にて暫し休息。気温の関係か、あまり自覚はないが、既に結構な運動量に達している。保温ボトルの温かな茶を飲みつつ、一服である。そして、途中参加のK君が合流。かなり前から正寶院地区等を探して漸く見つけたとのことであった。<br /><br />標高415mでの再会。驚くことに自転車での参上であった。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin21.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「如意寺宝厳院・熊野三社推定地,山岳寺院遺跡,古代,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>熊野三所と宝厳院の位置関係</strong><br /><br />休息後、本堂推定地を後にして鹿ケ谷へと向かう。前回と同じく「如意越」を辿りながら、である。そして、前回時間の関係で省略した鹿ケ谷上部にある如意寺宝厳院推定地を見学した。<br /><br />写真が、その要部である「般若台」推定地。平坦地の規模や礎石の出土から、ほぼ確実視されている場所である。古図ではその直下に「熊野三所」と呼ばれる回廊付の建屋群が描かれるが、埋文研はそれを100m以上離れた戦国遺構辺りに推定している。しかし、現地を観察したところ、やはり古図通り、一段下の平坦地に推定するのが妥当かと思われた。<br /><br />写真奥の、明るくなった平地部分がそれである。恐らく、埋文研はそこが少々狭いため他所での推定図ったと思われるが、後代の土採り改変（屈曲式土塁虎口に近い）や、水流による破壊（沢に近く湧水もあり）を考慮すると、特段無理はないかと思われた。また、現状と同じく、古図で熊野三所の左際に谷らしきものが描かれていることも、それを補強するように思われたのであった。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin22.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「鹿ケ谷の石段上の地（現月輪門推定地）,如意寺,山岳寺院遺跡,古代,中世,如意ヶ嶽」" /><br />月輪門推定地とされる急階段の上部地<br />平坦地らしく見えるが、左右の余裕はなく、堂跡平坦地との位置関係も古図と合わない。<br /><br /><strong>月輪門いずこ</strong><br /><br />宝厳院推定地から更に鹿ケ谷を下り、楼門滝、即ち「月輪門」推定地へと達した。本日最終の調査地である。<br /><br />前回最初に通過した場所であったが、月輪門の位置がどうしても推定出来なかった。現地が急峻で、それを設定出来る場所が見当たらなかったからである。現に埋文研でもその位置を明示しておらず、現存の急階段の上辺りに言及しているのみである。<br /><br />園城寺の西門も兼ねていたという重要壮麗な月輪門跡が想定出来ないというのはおかしい。よってこの機会に徹底して探してみることにした。滝の上部や俊寛碑、そして古図の姿に近い急階段上等を探すが何れも狭く、壮麗な門を設定出来る場所はない。しかも、門には左2間、右3間幅の築地壁まで付属している。<br /><br />皆で手分けして探し、意見を出し合ったが、牽強付会の域を脱するものではなかった。気づけば、宝厳院辺りで見舞われた冷雨がまだ頭上でくすぶり、日没の宵闇も迫っていた。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin23.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="山会「鹿ケ谷の石段下の平坦地（月輪門独自推定地）,如意寺,山岳寺院遺跡,古代,中世,如意ヶ嶽」" /><br />独自に推定した月輪門跡平坦地の一部<br />崩落した法面下には堂跡平坦地と同じ割石の散乱が見られ、石段の降り口跡と思われる石材もあった（下部）。<br /><br /><strong>現存石段は別物か</strong><br /><br />諦めて下山を開始した時、石段下にて平坦地の存在に気づいた。崩落している箇所も多いが、ここなら十分な横幅がとれ、平坦地との位置関係も合致する。しかも下から3番目の堂跡平坦地が背後となる為、古図通り、ここに左（北）側築地の横奥にあった縦長の住吉社も設定出来る。また、平坦地の急斜側には堂跡と同じ割石による法面保護の跡も見られた。<br /><br />ただ、問題はここが石段の下にある、ということである。しかし、古図上、門横に描かれる滝はまだこの平坦地横にも続いており、平坦地南端直下には古図の姿に似た矢筈形の大岩もあった。ひょっとして、今残る石段とは違う石段がここから下っていたのではないか。<br /><br />そう思いながら下部を見ると、谷から上がってきた道がこの急斜に接する辺りと、平坦地際にある石の護岸辺りが真っ直ぐ接続出来ることに気づいた。もはや、この場所しか想定出来ないのではないか――。皆の見解も同じであった。現在の石段は、門内にあって古図では省略されたのか、後代、特に俊寛碑が作られた昭和初期等に新設された可能性が浮上した。<br /><br />更に調べを進めなければ断定出来ないが、自分達を含め、多くの人が様々な思込みの影響を受けていることを改めて気づかせてくれる体験となった。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_03_11/nyoi_daimonji_ruin24.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「鹿ケ谷から見る京都市街夕景,如意ヶ嶽」" /><br />鹿ケ谷の谷口から見る京都市街夕景<br /><br /><strong>発見多い有意義な山行終了</strong><br /><br />この後、無事鹿ケ谷の集落に下山して調査山行は終了。街中に移動し、打上げのみの参加者も交えて、恒例の食事会にて日を終えたのであった。<br /><br />寒さや都合等により参加者は少なかったが、様々な発見があり、個人的には大変有意義な山行となった。<br /><br />皆さん有難う、そしてお疲れ様でした……。<br /><br/><a name="more"></a>

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            <category>山会</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
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      <link>http://seiran.ginreido.net/article/54184423.html</link>
      <title>続新春山告知</title>
      <pubDate>Mon, 27 Feb 2012 18:39:56 +0900</pubDate>
      <description>（※1） 3/05　持物追加続「幻の巨刹如意寺を探る」更に深く古跡や山を窺う立春の暖かさは遠のき、また寒さ続く日々となっておりますが、如何お過ごしでしょうか。今回も、その様な時期の為、またはその様な時季だからこそ行う、企画を実施します。今年2度目の文化・歴史探訪系の山会です。時は来る3月11日（日曜日）、内容は前回実施した幻の古代・中世山岳大寺「如意寺」探査の続編的・深化的なものとなります。前回時間の関係で探索出来なかった場所や、新たに生じた疑義・問題点の探究を行います。但し..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image/nyoigatake.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="山会「如意寺や如意ヶ嶽城の遺構をその懐に宿す如意ヶ嶽（大文字山）,山岳寺院遺跡,古代,中世」" /><br /><br /><a href="#1"><span style="color:#FF0000;">（※1） 3/05　持物追加</span></a><br /><br /><strong>続「幻の巨刹如意寺を探る」<br />更に深く古跡や山を窺う</strong><br /><br />立春の暖かさは遠のき、また寒さ続く日々となっておりますが、如何お過ごしでしょうか。<br /><br />今回も、その様な時期の為、またはその様な時季だからこそ行う、企画を実施します。今年2度目の文化・歴史探訪系の山会です。時は来る3月11日（日曜日）、内容は<a href="http://seiran.ginreido.net/article/53494505.html" target="_blank">前回実施した</a>幻の古代・中世山岳大寺「如意寺」探査の続編的・深化的なものとなります。<br /><br />前回時間の関係で探索出来なかった場所や、新たに生じた疑義・問題点の探究を行います。但し、今回は入山ルートを変更し、前回参加した人も初めての人も同様に、有意義かつ楽しい企画となるよう趣向も凝らします。<br /><br />新春第2弾。前回鍛えた想像力を用いて、更に深く、古跡や山を窺うような企画とする予定です。興味ある方は奮って参加下さい。<br /><br /><strong>如意寺について</strong><br /><br />如意寺は、京都市左京区東部から滋賀県大津市西部に跨る「如意ヶ嶽（現大文字山とその後方の山）」に、かつて存在した山岳寺院。<br /><br />平安時代初めの9世紀に創建されたと伝えられ、史料上では10世紀半ばにその存在が確認される古代寺院である。隣接する園城寺（三井寺。大津市）の別院として大伽藍を擁して隆盛を誇るも、中世以降の戦乱により廃滅し、やがてその寺地は悉く山林に帰した。<br /><br />以降、長く所在地さえ判らない状態となっていたが、近年遺構が再発見され、再びその威容が再現されつつある。遺構は、約700年前の古図にほぼ合致する堂宇跡の平坦寺地や基壇跡で、当時の瓦や什器等が多数出土している。<br /><br />廃滅して既に550年ばかり――。<br /><br />樹々鬱蒼たる山中高所に、幻のその痕跡を、静かに留めている。<br /><br /><strong>詳細</strong><br /><br />開催日：　　 2012年3月11日（日曜日）<br />時間：　　　　10:00～16:00頃（打上げ不参加の場合）<br />集合場所：　京都市左京区若王子（詳細別途連絡）<br />集合時間：　10:00<br />費用目安：　往復交通費（自転車集合推奨）＋打上げ費（非高級店）<br /><br />行程：　　　　若王子～（徒歩1時間）～大慈院・西方院推定地及び檜尾古寺独自推定地探索～（徒歩1時間）～正宝院推定地～（徒歩0.5時間）～如意寺本堂推定地～（徒歩0.5時間）～灰山庭園遺跡～（徒歩1時間）～宝厳院推定地～（徒歩0.25時間）～楼門の滝～（徒歩0.25時間）～鹿ケ谷<br /><br /><strong>備考</strong><br /><br />・荒天中止。<br />・距離は10キロ程の行程となります。<br />・各遺構探索では、道の無い場所の通過や、藪漕ぎの可能性があります。<br />・昼食は途中の空地等で採る予定です。<br />・各自のペースを尊重し、早い人が遅い人を先で待つ行路スタイルとなります。<br />・基本的に、歩くと暑く（特に登り）、止まると寒いとお考え下さい。<br />・現地か、京都市内他所にて打上げ夕食会を予定しています。<br /><br /><strong>参加条件等</strong><br /><br />どなたの参加も可能です。ただし、長時間の徒歩行であること、外の気候条件にさらされること考慮下さい。この山会は参加費等を徴収する集いではありません。少しでも多くの人に、身近な地域の、知られざる良さや奥深さといったものに触れてもらいたいとの志のもとに企画されています。よって何の補償もない自己責任参加となることをご承知下さい。なお、参加希望の場合は事前に<a href="https://ssl.kodama.com/securemail.aspx?id=ejgi91kgq1efgele" target="_blank">メール</a>等（返信なき場合は奥付の「E-mail(2)」利用）でのご連絡をお願いします。<br /><br /><strong>持ち物その他</strong><br /><br />・飲料（必要分。温かいお茶等推奨。自販機や店は無し）<br />・昼食<br />・帽子<br />・手袋（急斜や藪対策のため必ず用意）<br />・歩き易い靴＆厚手の靴下<br />・雨具（救命着や風除け等の役割有り。晴天時も必携）<br />・防寒着<br />・敷物（昼食時の冷気や湿気防止用。古新聞・ビニルシート等）<br /><a name="1"><span style="color:#FF0000;">・配布資料（前回配布のもの。初参加の人は当日配布。再配布無し）（※1）</span></a><br /><br />その他、着替えやタオル、菓子等は適宜考慮願います。靴は歩き易いものがよいと思います。荷物は極力軽くした方が楽です。<br /><br /><br />以上、何かご不明あれば、<a href="https://ssl.kodama.com/securemail.aspx?id=ejgi91kgq1efgele" target="_blank">連絡</a>（返信なき場合は奥付の「E-mail(2)」を利用）願います。<br /><br /><br /><strong>上掲画像：　</strong>如意ヶ嶽（現大文字山）東部全景。冬枯れに包まれたこの山中には、古代から中世にかけて存続した寺院や城塞の遺構が今も眠っている。我々が探る如意寺は、この麓から鹿ケ谷（正面の黄土色ビルの左上辺りの谷）を経て、遥か稜線向こうの、山中一帯にまで広がっていたという。<br /><br /><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
            <category>告知</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
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                      </item>
        <item>
      <link>http://seiran.ginreido.net/article/54212594.html</link>
      <title>疎水寒日</title>
      <pubDate>Sun, 26 Feb 2012 19:00:00 +0900</pubDate>
      <description>当て所なく逍遥山手向かうも何時しか水辺に午後から散策に出る。元来、家でじっとしていられない質なので、天気が良くないとか、寒いとか言って、折角の休日を動かずに過ごすことは耐え難（がた）い。また、どのみち寒いので、身体を動かしたい、という思いもあった。読書など、何時でもまた何処ででも出来るのである。それより、寒気の緊張の如きを存分に感じながら、当て所（ど）なく逍遥してみたかった。良く行う通り、街中より空の広さ・光量に恵まれた賀茂河畔を歩き、北山の雪でも望もうかと思ったが、今日はそ..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_26/sosuibunsen1.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="逍遥雑記「疎水分線（白川疎水）に斜めにかかる古い小橋,疎水分線7号橋,哲学の道,京都市左京区,鹿ケ谷」" /><br /><br /><strong>当て所なく逍遥<br />山手向かうも何時しか水辺に</strong><br /><br />午後から散策に出る。<br /><br />元来、家でじっとしていられない質なので、天気が良くないとか、寒いとか言って、折角の休日を動かずに過ごすことは耐え難（がた）い。また、どのみち寒いので、身体を動かしたい、という思いもあった。読書など、何時でもまた何処ででも出来るのである。それより、寒気の緊張の如きを存分に感じながら、当て所（ど）なく逍遥してみたかった。<br /><br />良く行う通り、街中より空の広さ・光量に恵まれた賀茂河畔を歩き、北山の雪でも望もうかと思ったが、今日はそれとは色んな意味で逆の、山手へと向かうこととした。<br /><br />この時季ながら観光客の途切れぬ慈照寺（銀閣）前を過ぎ、東山の山裾に沿う疎水分線を下る（水流としては遡上）。所謂「哲学の道」である。<br /><br />晴れやかな賀茂川縁を選ばず、山手に歩みを向けた筈であったが、何時しか水辺に接していた。今にも小雪舞いそうな重い空色の所為か、水辺の明るさ・開放感たるものに無意識にひかれてしまったのか……。<br /><br /><strong>ダメになりゆく街</strong><br /><br />時折一群となって過ぎる観光客らに混じって、水面（みなも）を覗き、そして歩く。それと同時に、道沿いの家々・風景も窺えば、また1つ2つと更新されゆくその変化に気づいた。しかし、その状況は強い違和感を感じさせるものであった。<br /><br />一説には、市街としては比較的交通不便といえるこの辺りの家屋相場は、その全土的著名の反映か、安からぬものだという。それなら、更新された家屋の主は相応の財力を持つ存在と見做せる。しかし、それらの家の有様に富者の有余や見識を窺わせるものは少なかった。<br /><br />そうした状況の陰で、残すべき家屋の荒廃ぶりには、著しいものがあった。まあ、ここに限らず随分前から方々で見られたことだが、やはりこの様な名所での有様には、特に残念に思わされた。<br /><br />町家保全や景観保護が叫ばれて既に久しい。しかし実態はどうか。行政は何をしているのか。水族館や市民マラソンなどの「箱物」や「目玉イベント」等の派手な上物行事にしか考えが及ばないのか。新しいことを企画・実行するのは結構である。しかし、根本からその方向がズレているような気がする。<br /><br />何故、京都が日本は疎か世界中から憧憬されるような街になったのか。そう感じた人々が、新たな箱物やイベントなぞ望んでいないことは子供にも解り得よう。何か、この街は足下からダメになってゆくような気がする。<br /><br /><strong>特徴多い疎水の古橋</strong><br /><br />気を休め、楽しむ筈の散策が、不覚にも怒りの場となってしまった。気をとり直し、それに於ける発見の報告をしよう。<br /><br />今回の一番の発見は、写真の橋である。疎水分線にかかるもので、その欄干が鉄柱組みで造られている。珍しいその様と、特徴ある陰影醸す台座に惹かれて観察する。一見、軍船の支柱・手摺りの如き無骨の様にも思われたが、良く見れば横線に緩やかな湾曲が施されるという雅趣も有している。<br /><br />見ての通り、その欄干鉄身の錆ぶり、そして台座コンクリートの劣化ぶりから相当古いものに見られたが、如何であろうか。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_26/sosuibunsen3.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="逍遥雑記「疎水分線（白川疎水）に斜めにかかる古い小橋,疎水分線7号橋,哲学の道,京都市左京区,鹿ケ谷」" /><br /><br />この橋は、その細部にも特徴を持っていた。それは、欄干を構成する多くの部材が、ネジにより固定されていることである。写真は、欄干親柱の表面に残る上下2個のマイナス・ネジ。固定すべきものは既に折損して失われているようだが、下のネジ辺りから他方へと伸びる支柱か何かを留めていたものだと思われる。<br /><br />ボルトの使用なら枚挙に遑はないが、マイナス・ネジが欄干に使用されている例は知らない。全体的な古さや意匠などと共に勘案すると、やはり戦前までは十分遡れるものかと思われた。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_26/sosuibunsen2.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="逍遥雑記「疎水分線（白川疎水）に斜めにかかる古い小橋,疎水分線7号橋,哲学の道,京都市左京区,鹿ケ谷」" /><br /><br /><strong>必然性なく斜に架かる</strong><br /><br />橋全体を観察すると、更に面白い特徴に気づいた。それは、この橋が疎水両岸の道を最短で繋げず、斜めに設けられている、ということである。つまり、交通的必然性がないのに、橋を斜めに架けるという無駄が行われているのである。<br /><br />写真は橋上全景。欄干の左右親柱下を結ぶ舗装の線が疎水の縁にあたるが、それに対して橋がかなり斜になっているのが判る。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_26/sosuibunsen7.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="逍遥雑記「疎水分線（白川疎水）に斜めにかかる古い小橋,疎水分線7号橋,哲学の道,京都市左京区,鹿ケ谷」" /><br /><br />左：「京都市實地測量地図」（明治35〈1902年〉年）<br />右：「元禄十四年實測大絵図」（元禄14〈1701年〉年頃）<br /><br />大塚隆編『京都地図集成』（柏書房　平成5〈1994年〉年）より部分転載。地名加筆は筆者<br /><br /><strong>橋名以上は不詳。古図で調査</strong><br /><br />橋の架橋年代等への興味もあり、この謎について少し調べてみた。先ずは橋名の調査。しかし、橋自体にその表記は無く、手持ちの資料や地図にも見られない。そこで、疎水記念館を訪ね、そこで頂いた台帳複写から、なんとか名称を割り出す。その名は「（疎水分線）7号橋」。だが、架橋年代等、それ以上の記録に辿り着くことは出来なかった。<br /><br />そこで、最後の手段として、古い地図を元に事情を探ってみることにした。この疎水分線が出来たのは、第1疎水本線と同じ明治23（1890）年。よって、それ以降に出された地図を調べる。<br /><br />画像左の地図は、明治23年以降に刊行された手持ちの資料中、最も古い明治35年のもの。そこに描かれた当該部分見てみると、この場所の疎水に、やはり斜めにかかる橋が描かれている。しかし、両岸の道が橋と直結されて直線となっているなど、今の状況とは異なる様子も窺える。実は手持ちではないが、この図の前身とされる明治28年刊行の図にも同じ描写がみられた。<br /><br />そこで年代の近い他の地図も調べてみる。すると、7年後の明治42年に測量された「二万分一正式図」には、現況と同様に蛇行通過する道様が描かれていた。正式図は、陸軍が日本全土の地形を詳細網羅する為に成した精密図なので信頼性が高い。<br /><br />比べて、地元民間で作成された前者の地図は、他所の検討でもその荒さが判明しているので、数年後に架け替えや道路改修が行われたとするより（そもそも直線を態々蛇行させるのもおかしい）、両者同一の可能性を考慮した方が賢明に思われた。<br /><br />あと、地図とは呼べない絵図程度のものだが、疎水竣工翌年の明治24年に出された「疎水線路細見」という図に、この橋とみられるものが描かれていることを発見した。さすがに、その図を論拠に挙げることは出来ないが、疎水竣工5年後の明治28年には、確実にこの場所に「斜めの橋」が存在したことは間違いなさそうである。<br /><br />架け替えの可能性も否めないが、現存の橋がそれと同じものである可能性も高まったのである。<br /><br /><strong>最古の図から橋と道の重要性浮かぶ</strong><br /><br />それと共に、今は単なる小橋・小道にしか過ぎないこの橋とそれに繋がる道が、元は地域にとって重要な存在であったことがわかった。それは、この道が地域の幹線「鹿ケ谷通」から「鹿ケ谷村」の中心に直接入る唯一のものだったことが地図から判明した為である。<br /><br />そこで、更に古い図を使い、調査してみる。画像右の絵図である。この図は、今から311年前の江戸前期に作られたもの。洛外まで詳細に記した図としては最古級のもので、「實測」を称すだけあって、古いながらもその描写には定評を有すものでもあった。この古図に、なんと件の道が描かれていたのである。<br /><br />左右の図で200年もの時差があるにも拘らず、鹿ケ谷通から屈曲しつつ村に入るこの道の姿や周辺事情に違いは見られない。更に、村の南（下方。疎水対岸側）に描かれている大豊神社御旅所とみられる建屋の位置も変わらない。これらのことは、この道の重要性が長期に及んでいたということの証左になろう。<br /><br />その事実により、橋が斜めに架けられた本当の理由が解ってきた。即ち、この橋の姿は、対岸同士の単なる短絡を意図したものではなく、幹線路や宗教施設と村を最短・強固に結ぶため、また、切れぬために意図され、成されたものだった、ということである。<br /><br />それらを考慮すると、やはりこの橋は疎水竣工と同時に用意された可能性が高いとも思われた。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_26/sosuibunsen4.jpg" width="400" height="276" border="0" align="" alt="逍遥雑記「疎水分線（白川疎水）に斜めにかかる古い小橋,疎水分線7号橋,哲学の道,京都市左京区,鹿ケ谷」" /><br /><br />白川疎水（疎水分線）にかかる「7号橋」の姿<br /><br /><strong>奥深く稀有な京の保全を</strong><br /><br />隣接する立派な私設橋から再度疎水を渡る橋の姿を見ると、橋桁下部のコンクリが劣化して鉄筋が露出している様が認められた。もしこの橋が完全な鉄筋コンクリート構造であれば、その建設年代は疎水竣工時より少し下るかもしれない。日本で本格的なそれが造られたのは、明治36（1903）年に第1疎水本線に架けられたものが初めてといわれるからである。<br /><br />竣工当初は、木造その他の造りの橋で、後にこれに架け替えられたのかもしれない。無論、斜め架けは当初より行われたものとして……。<br /><br />因みに、右手奥に見えるカーブミラーがある場所が、古図にも見える鹿ケ谷村南西隅に接する道の屈曲部である。角張らずに湾曲する様は、明治図より311年前の古図の方が忠実に表している。恐るべし、元禄実測図、そして数百年前の村道を眼前に伝える京都（笑）！<br /><br />とまれ、この様に京都は橋1つ道1つとっても実に奥深いものを秘めている。また、それを検証可能とする古図や史料の蓄積・質にも秀でているのである。これらは、周辺東アジアは元より、世界でも稀有なことといえよう。<br /><br />行政も、このことを重々踏まえてもらい、街づくりや景観保全に取り組んでもらいたいものである。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_26/sosuibunsen5.jpg" width="267" height="400" border="0" align="" alt="逍遥雑記「疎水分線の用水取水口,哲学の道,京都市左京区,鹿ケ谷」" /><br /><br />色々と興味深い存在であった7号橋と別れ、また疎水縁を進む。暫くすると、写真の如き施設というか装置が現れた。疎水から取水する用水の水門のようである。<br /><br />これにも、7号橋同様の古さや趣を感じて、暫しの観察に誘われる。だが、欄干同様と思われた鉄の部材は、橋のものほど古式ではないようにみられた。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_26/sosuibunsen6.jpg" width="400" height="267" border="0" align="" alt="逍遥雑記「若王子の猫,疎水分線,哲学の道,京都市左京区,鹿ケ谷」" /><br /><br /><strong>「原資割れ」の寒さ<br />一巡後撤収</strong><br /><br />歩きつつ身体を暖めている筈だが、少なからぬ寒さを感じる。蓄えられるべき熱が寒気で相殺され、「原資割れ」の如きを起こしているような感覚である。普通の寒さには動じない道端の猫さえ、極力陽のある場所にて、ひたに耐えているようであった。<br /><br />写真はその時のもの。同種が2匹並んで互いの身で暖をとり合っていたが、1匹がへそを曲げて逃げてしまった。<br /><br />申し訳ない。私も、もうひと巡りすれば帰るとしよう。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>逍遥雑記</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
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      <title>突如大雪</title>
      <pubDate>Sat, 18 Feb 2012 22:00:00 +0900</pubDate>
      <description>意表突く天地逆転の趣前夜、とはいっても遅い時間だったので今日未明というべきであろうか。上着を羽織り、奥庭の手洗いへ行くと、小屋根下と物置上の1尺程の隙間に、外が見えない程の雪が。就寝前に表を見た際は、そんな気配は微塵も無かったため少々驚く。一体、いつの間に降り始め、どれくらいの時間でこんな風になったのか。確かに寒さは厳しい。しかし、厳しいのは、ここ暫く変わらぬことだったので、全く意表を突かれる体験となった。そして朝。表の引戸を開けると、いつに無い光の世界が現れる。家々の屋根は..</description>
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<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image2012_02_18/daimonji_yuki.jpg" width="400" height="271" border="0" align="" alt="逍遥雑記「大文字山,積雪,白い大文字,2012年2月18日」" /><br /><br /><strong>意表突く天地逆転の趣</strong><br /><br />前夜、とはいっても遅い時間だったので今日未明というべきであろうか。上着を羽織り、奥庭の手洗いへ行くと、小屋根下と物置上の1尺程の隙間に、外が見えない程の雪が。就寝前に表を見た際は、そんな気配は微塵も無かったため少々驚く。<br /><br />一体、いつの間に降り始め、どれくらいの時間でこんな風になったのか。確かに寒さは厳しい。しかし、厳しいのは、ここ暫く変わらぬことだったので、全く意表を突かれる体験となった。<br /><br />そして朝。表の引戸を開けると、いつに無い光の世界が現れる。家々の屋根は疎か、路地も植栽上も厚く白雪（はくせつ）に覆われ、曇天ながら強く光を放っていたからである。恰もそれは、天地逆転ともいえる趣であった。<br /><br /><strong>今季初（？）の積雪<br />異界広がるも午後から急衰</strong><br /><br />積雪は凡そ15cm程（土道上。発表は5cm）か。京都市街としては大雪とも呼べそうな量である。思えば、今季はあまり雪を見ず、降っても積もることは殆ど無かったので、初の積雪といえよう。<br /><br />交通の不便や一層の寒さが想われるが、この「特別の到来」に何故（なにゆえ）か、少々心が浮く。それは、それらの到来に胸躍らせた小時の記憶によるのか、はたまた凡庸な日常に一新来る（きたる）という可能性、即ち希望の如きがそうさせるのか――。<br /><br />異状に惑う朝眼前に、突如舞い降りたものらがなす確かな異界が、ただ広がる……。<br /><br />近隣方々で、その現実に対応するため、シャベルなどを持ち出し、作業する姿が見られた。拙宅でも、玄関付近や空調装置辺りを払う。そして、午後からは、この時期らしい比較的強い陽射しにより、忽ちその状況は衰退（好転？）していったのであった。<br /><br />一新の異界から、凡庸な日常への回帰――。しかし、浮いた私の心は、その反動の如きに苛まれることはなかった。それは、やはり私が子供ではないことによるのか、はたまた可能性や希望に対し疑念を持つような老漢だからか。<br /><br />白々と立つ昼眼前に、程なくして元に復された現実が、ただ広がっている。<br /><br /><br /><strong>上掲写真：　</strong>街並みから覗く大文字山雪景（歴史的正称は如意ヶ嶽）。今月5日の山会にて通過した「大」字の火床もご覧の通りの白化粧。外出途中、午後からの撮影なので、車道の雪は既に大半が消失しているが、朝方は混乱もあったとみられる。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image2012_02_18/nanten_yuki.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="逍遥雑記「雪かかる路地の南天,積雪,2012年2月18日」" /><br /><br />厚く積もった雪の重みに耐える路地の植栽とその実（南天）。御馴染の、白雪との色対比の画だが……。<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>逍遥雑記</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
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      <link>http://seiran.ginreido.net/article/53494505.html</link>
      <title>幻寺探訪</title>
      <pubDate>Sun, 05 Feb 2012 20:00:00 +0900</pubDate>
      <description>季節の変わり目実感の好日開催2月3日の節分まで寒さ厳しい日が続いたが、翌4日「立春」からは、正にその名どおりの弛緩が訪れた。そして、今日5日。山会もこの恵みを受けて、真冬ながら、朝から良い条件での開始となった。思えば、節分は古来から季節の変わり目とされていた日。図らずも、旧暦（二十四節気）と気候との近似（旧正月は本来この変節期を意識して設定されたらしい）を、改めて実感する日ともなった。上掲写真：　幻の古代・中世大寺「如意寺」の深禅院跡で発見した古い供養塔。現状は中途で折れてい..</description>
            <content:encoded><![CDATA[
<img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera1.jpg" width="266" height="400" border="0" align="" alt="山会「如意寺深禅院遺址の古い一石五輪塔,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>季節の変わり目実感の好日開催</strong><br /><br />2月3日の節分まで寒さ厳しい日が続いたが、翌4日「立春」からは、正にその名どおりの弛緩が訪れた。そして、今日5日。山会もこの恵みを受けて、真冬ながら、朝から良い条件での開始となった。<br /><br />思えば、節分は古来から季節の変わり目とされていた日。図らずも、旧暦（二十四節気）と気候との近似（旧正月は本来この変節期を意識して設定されたらしい）を、改めて実感する日ともなった。<br /><br /><br /><strong>上掲写真：　</strong>幻の古代・中世大寺「如意寺」の深禅院跡で発見した古い供養塔。現状は中途で折れているが、元は1つの石材から削りだして成す「一石五輪塔」という型で、中世中期から末期（鎌倉末～桃山時代）頃にかけて作られたとみられるもの。各節には、その名に対応する「空・風・火・水・地」の梵字が見える。付近に礎石以外の遺物を見ないことから、後代に、掘り出されるなどして設置されたとみられる。ささやかな存在だが、この土地の来歴を窺わせる貴重な遺物である。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera2.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「鹿ケ谷全景,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />さて、さすがに温暖とまでは言えないものの、陽射しも心地よい朝。麓のバス道辺りに集合して鹿ケ谷（ししがたに）を目指す。そこから、今回の目的地である東山山中の如意寺跡を巡る為である。<br /><br />写真は、麓の霊巌寺辺りから続く「如意越（にょいごえ）」の急坂から見た鹿ケ谷全景である。道は未だ山中に達しないが、それに等しい傾斜の為、自転車で来た参加者は、下車して登山口まで只管それを押し登ることに。<br /><br /><strong>中止！？山入り前に問題発生</strong><br /><br />やがて舗装道路が尽きる辺りで自転車を置き、いよいよ山入りを果たそうとしたが、ここにて問題が……。入山前に、参加者の一部が知人芸大留学生の作品撮影に協力することとなっていたが、その作業にかなり時間をとられることとなったのである。<br /><br />結局、出発は昼を大きくまわった13時となった。一時は中止も考えたが、幸い、前々日までの寒さの所為か、辞退者が多く、参加は精鋭的人達のみだった為、歩みを速めるということで、決行することにした。<br /><br />作品提出の締切りが明日の為、どうしてもこのタイミングしかなかったらしいが、次からは早目に相談してもらうなど、十分に気をつけてもらいたいところである。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera3a.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「鹿ケ谷の双体道祖神,道祖神塔,京都市左京区,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>珍しい道祖神？</strong><br /><br />今日の本題と逸れるが、撮影を待つ間、付近にて興味深いものを発見したので紹介したい。写真の石像である。<br /><br />中世以降の出で立ちとみられる人物が2体浮彫で表されている。類型から、道祖神かと思ったが、違和感がある。1つは、左側の人物が大きく表されていること。通常、道祖神に限らず格上の男神は右側（即ち神像から見れば上位の左）に配されるため、左がそれを思わせる大きさなのは奇妙である。<br /><br />もう1つは、背景の飾りがないこと。凡その道祖神は、石材の外形を恰も光背か額縁と成すかの様な加工がされている。また、外形が自然石のままの場合は、彫り込みによって同様の効果が施されている。写真の様な、切石のままの荒い姿は見たことがないのである。<br /><br />色々と謎はあるが、素朴で愛嬌ある表情を持つユーモラスな像ではある。磨耗具合からすると、然程古いものには感じられないが、如意寺との関りは如何であろうか。実は像のあるこの辺りも、その寺域推定地とされている。研究者によると、道祖神像の出現は近世以降のことといい、当該像がそれであれば、中世中に廃滅した如意寺との関係は薄そうである。<br /><br />形式的には「双体道祖神」と呼ばれる興隆期のものらしく、その年代は17世紀頃か。あくまでも、道祖神であれば、の話である。なお、道祖神が道や境界だけに関連した神であるという旧来の説は、近年、統計調査等の結果からも否定されている。<br /><br />いずれにせよ、道祖神と似た役割を持つ存在として地蔵が卓越する京都にて、珍しいその姿を見つけたので、特に紹介した次第である。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera4.jpg" width="266" height="400" border="0" align="" alt="山会「鹿ケ谷「如意越」の道,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>京江の快速要路「如意越」をゆく</strong><br /><br />気を取り直し、準備体操も早々に山へと入る。針葉樹の植林広がる明るい谷筋の登坂である。写真はその様子。岩盤を穿って整地した跡を見るなど、「古道の証」の如きも随所に見られた。<br /><br />この道、即ち「如意越」は、如意ヶ嶽山上を通って近江滋賀へ抜ける古い間道で、史料上では平安末期の12世紀頃からの利用が推察される。ここを踏破した人なら知っていると思うが、上り下りの急斜こそあるものの、その交通効率は思いのほか高い。上りを越えて山上を走ると、すぐさま琵琶湖を望めるような具合である。<br /><br />私は、園城寺即ち天台寺門派が、別院の如意寺を以て、京江を迅速に結ぶこの要路を制していたのではないかと考えている。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/kozu.jpg" width="400" height="673" border="0" align="" alt="山会「園城寺境内古図（如意寺幅）,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />園城寺蔵『境内古図（如意寺幅）』正和元（1312年）～建武3（1336）年頃制作か<br />（原図は彩色。明朝体の堂宇名加筆は筆者。京都国立博物館編『社寺絵図とその文書』〈1985年〉より転載）<br /><br /><strong>古図・資料用意と研究者との面談で準備万全に</strong><br /><br />ここで我々が用いた工具を1つ紹介したい。在りし日の如意寺の威容を視覚化した境内絵図である。後代に作られたとみられる幾つかの類品が伝わるが、何れもこの絵の写本の域を出ないものなので、唯一の視覚史料ともいえる。<br /><br />この、今から700年前に描かれた如意寺の古図と、その他の史資料を基にして携行資料を作成し、現地に向かった。なお、それに先立ち、京都市埋蔵文化財研究所（考古資料館）をみんちり幹事2人で訪問し、如意寺再発見に貢献された文化財保護技師・研究者であるK氏直々に、遺構への所見や最新情報を伺い、準備を万全としたのであった。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera5.jpg" width="266" height="400" border="0" align="" alt="山会「楼門滝付近の石積み平坦地遺構,鹿ケ谷,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>楼門滝と最初の遺構群</strong><br /><br />さて、如意越の道を進むこと暫しして、植林帯が開け、明るい急斜の地が現れた。道はそこを葛篭で上っていく。そして、その左脇に写真の如き石積みが現れた。傾斜地に割石を積んで土留めをして成した、人為平坦地である。<br /><br />鹿ケ谷ルートとしては、最初に現れる現存如意寺遺構群である。K氏らの見解では、楼門滝横や下部にあったとされる「浴堂」や「不動堂」等の跡地とされる。境内古図では、「月輪門」直下の階段上横に描かれたものが浴堂、下横が不動堂と貼紙されている。<br /><br />導水と排水の便を考慮して、この様な門外の急斜地に浴堂が設けられたのであろうか。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera7.jpg" width="266" height="400" border="0" align="" alt="山会「楼門の滝,鹿ケ谷,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />そして間もなく楼門滝に。現在「楼門の滝」と呼ばれるもので、近世より京洛内外の人々に親しまれた名所である。写真で見るように今は水量・水勢に乏しく滝らしくないが、近世の名所図会等によれば、以前は古図同様の雄姿を市街からも見ることが出来たという。特に雨後はその勢い凄まじく、長大化したことが記録されている。<br /><br />先日までの寒波の所為か、所々氷結の様も見られ、これはこれとして趣がある。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera6.jpg" width="284" height="400" border="0" align="" alt="山会「月輪門の石段,鹿ケ谷,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />そして滝横には急で長い石段が。滝横の岩塊に沿い続く様は、正に古図そのままである。当時の施設を継承したものとは思われるが、ほぼ完全を成しているので、後代の積み直しや補修等を考慮すべきであろう。<br /><br />廃滅してより凡そ550年。その間、幾度も生じた地震や豪雨等の天災に無傷を保ったとは考え難い。戦前、階段上に俊寛碑が建てられたが、その際の再整備も考えられよう。<br /><br /><strong>俊寛の山荘</strong><br /><br />なお、K氏によると、平家打倒謀議（鹿ケ谷事件。12世紀後半）で南海へ配流（はいる）となった古来著名な俊寛の山荘は、ここではなく、麓にあったのではないかという。即ち上掲（上から2枚目）画像にある、登山口手前の宅地付近である。つまり、やはり如意寺の境内か。<br /><br />俊寛自体は真言僧だったので色々と物言いが付くが、K氏によると、境内西端とみられる「鹿谷門」（古図最下部の築地付の門）は、登山口辺りか、宅地より更に下部の霊巌寺付近にあったと推測されているという。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera8.jpg" width="400" height="284" border="0" align="" alt="山会「如意ヶ嶽城虎口遺構,鹿ケ谷,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>戦国改変か。熊野三所・宝厳院跡</strong><br /><br />石段上には古図にある「月輪門」という壮麗な大門があったされるが、殆ど平地がないため特定はし難い。当初は谷を塞ぐ様に描かれていたので比較的簡単に検出できるかと思ったが、そうはいかなかった。<br /><br />月輪門推定地付近を越えてからは、急斜は止み、平坦な谷道となる。そして谷が開けた明るい場所に出た。埋文研が推定する熊野三所跡である。しかし、実際は複雑な平坦地が数多く造成されており、古図との整合を見ない。K氏によると、隣接する如意ヶ嶽城の関連施設として、戦国時代に大改変を受けた可能性があるという。山上を主郭とするその城の登城口、水源として重要な場所だからである。<br /><br />一応軍事・交通専門の私が現地を見たところでも、その説には十分頷けた。それは、この地帯後端（東端）に、侵入者に対する横矢を意識した屈曲式の土塁関門、即ち虎口（こぐち）の存在を認めたからである。しかも、初期の平入り式から、より防御性の高い屈曲式に改変された痕跡まで認められた。<br /><br />また、地帯前端にも平入りの土塁関門の残存が認められた。写真は、後端土塁を東側（内郭側）から見たもの。中央の土塁の切れ目を越して道が続いているのがわかる。恐らくここに城戸が設けられていた筈である。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera9.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「鹿ケ谷の巨石,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>存在感放つ謎の巨石と水源</strong><br /><br />戦国期の改変地帯を過ぎ、少し上りにさしかかったところで写真の巨石に遭遇。重さ数十トンはあるかと思われるもので、小川ある谷を塞いでいる。白い積層の肌を持つ石で、何かの信仰対象となってもおかしくない程の存在感を放っていた。<br /><br />不思議にも、これほど目立つ存在が古図には描かれていない。一応この場所は礎石が出土している宝厳院般若堂推定地に隣接しているにも拘らず、である。石の下にて暗渠化している河道内には、浴堂辺りで見たのと同じ割石らしき石が散乱している。<br /><br />ひょっとすると、後代に他所から運ばれたのか。しかし、これ程大きな石を山中で運搬するのは現在でも難しい筈である。もしくは、山上から落下したものか。だが、見上げる林間にそれらしき崖や同石の姿は見られない。そしてK氏らの報告書にも、この石については何も語らない。<br /><br />参加者一同、首を傾げ、ただ呆然と見上げるばかりであった。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera10.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「鹿ケ谷の古い水源地,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />巨石を越えて更に東への進むと、次は写真の如き石組が現れた。道際にあったものを私が気づかずF君が発見したものだが、中で水が湧いている。これ以上上手の谷中には水流の痕跡がないことから、沢の源頭部、即ち水源とみられる。この山域でこれ程はっきりした姿を持つ水源は珍しい。通常はその始まりが定め難いような、湿りや、湿地状の地帯から始まるからである。<br /><br />ともかく、その水源が浴室跡と同じ割石で人為的に改変されているので、遺構との関連も窺われる。当然、後代の積み直しや改変は考えられるが、材料や場所との関りから、古式を踏襲したものとも考えられる。気になったのは、湧出始点を蓋する大きな石が、前の巨石と同種に思われたこと。<br /><br />両者共、同じく水を覆っていることから、何か宗教的な意図を以て、人為的に共通化されたようにも感じられた。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera11.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「鹿ケ谷源頭,東山の稜線,切通し,防塁,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>戦国遺構残る稜線にて遅い昼休息</strong><br /><br />水源地を越えると傾斜は益々強まった。そして程なくして写真の如き「切通し」が現れた。鹿ケ谷源頭、即ち我々が市街から日々眺めている東山連峰の稜線である。<br /><br />ここが切通しになっているのは、稜線に犬走り（武者走り）と防御壁が設けられていることと関連する。即ち如意ヶ嶽（現大文字山）山頂に近い為、戦国期に如意ヶ嶽城の防備の1つとして設けられた城戸とみられるのである。<br /><br />ともかく、これにて一先ず登坂の苦労はひと段落。昭和末に再発見された主要遺構（今来た鹿ケ谷部分は、唯一それ以前から判明していた箇所）は、ここの高さと近い標高400m前後に存在する為、もはや登坂の労は少ないからである。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera12.jpg" width="266" height="400" border="0" align="" alt="山会「如意ヶ嶽城跡平坦地,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />南北に走る東山の稜線に出たあと、それに沿う道を少々北行し、滋賀方面まで東西に走る如意ヶ嶽の稜線上まで移動して遅い昼食休憩をとることとなった。<br /><br />写真の場所がその休息地であるが、実はここも遺構平坦地。但し、如意寺のものではなく、如意ヶ嶽城に関連するものであった。山上の主郭後方に設けられた大規模な平坦地跡で、足利将軍の「御所」跡とも推測されている場所である。正に、至る所、寺や城の遺構だらけの山域――。山中とはいえ、都近傍であることの面目躍如たる有様であった。<br /><br />とまれ、暖かな陽射しの下、公方御殿の幻と共に（？）穏やかな昼食時間を過ごしたのである。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera13.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「大慈院跡平坦地,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>武家政権との関り示す大慈院</strong><br /><br />昼食後は、そこから最寄りであった「大慈院」と、それに隣接する「西方院」の跡地に向かった。いよいよ昭和に再発見された知られざる場所を巡るのである。その位置は、東山と如意ヶ嶽の稜線直下の斜面上にあった。<br /><br />写真は、登山者行き交う尾根道を外れて探し当てた「大慈院」跡の平坦地。矢竹か何かが密生していて画像では判り難いが、数10m四方の広さを持つ。更に、隣接して複数の造成地があり、明らかに人為的に斜面を造成して成した大規模な露台（テラス）地であることが判る。<br /><br />古図によると、大慈院は写真の場所に計6つの堂宇を有していたことになる。だが、調査では礎石らしきもの1基のみの発見に止まっている。特筆すべきは、ここが鎌倉右大将家の寄進により整備されたことが古図の貼紙や、その他の文献に見えること。<br /><br />「鎌倉右大将」とは、かの鎌倉幕府開祖、源頼朝のこと。朝敵怨霊を宥める為、建てられたといい、堂内には、源氏政権によって滅亡させられた、平家一門の姓名を記した阿弥陀像が納められていたという。<br /><br />如意寺と武家政権の関りを示す、興味深い由緒である。後年、南北朝動乱で被災し、そして応仁の乱で寺が廃滅したのも、武家政権との関り故の結果ともされる。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera14b.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「西方院跡地,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>地中に深くに眠る西方院と<br />詳細不明の前身寺院「檜尾古寺」</strong><br /><br />大慈院の次は、古図でその直下に描かれる西方院を探す。露台地のすぐ下であることは解るのであるが、道の無い急斜により、近づくことが出来ない。方々調べ、漸く脇から下る道を発見し、到着。<br /><br />比較的藪が少なかったことが幸いした。やはり厳冬期であるこの時期に催して良かった。殆ど人が入らない場所なので、季節の良い時期は藪に阻まれ、色々と困難に見舞われたに違いあるまい。<br /><br />写真が西方院推定地。平坦地というより、なだらかな傾斜地となっている。事実、埋文研の調査では、遺物の発見が少なかったらしく、遺構は深くに埋没している可能性があるという。<br /><br />西方院は数ある如意寺堂宇の中で、塔を除く唯一の瓦葺建造物。この事と、付近や近くの谷で平安初期頃（9世紀）の瓦が発見されたことなどから、それ以前にこの山中に存在したという詳細不明の古代寺院「檜尾古寺」との関連が推察されている。<br /><br />しかし、私はこの西方院・檜尾古寺関連説に疑問を持っている。それは、この場所が谷中に存在するからである。「檜尾」の名は、恐らくは地貌より採られたものとみられる。因って、古寺は尾根上に存在したと思われるのである。<br /><br />事実、古寺に隣接し、その名と場所を唯一史料上に記載した上安祥寺も、「松尾」と記された寺地を、尾根上の造成地に有している。<br /><br />この地域最古の山岳寺院とみられるも、記録がなく、その詳細が全く判らない檜尾古寺。如意寺とはまた違った興味を沸かせる存在である。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera14.jpg" width="266" height="400" border="0" align="" alt="山会「西方院跡から見上げた大慈院石段跡,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />西方院推定地より大慈院推定地を見上げる<br /><br />高さ20m程の急斜である。嘗ては古図と同じく、この中央付近に、両院を繋ぐ石段が設けられていた筈である。しかし、市の調査、そして我々の観察でもその痕跡を見つけることは出来なかった。<br /><br /><strong>古図精度への驚きと<br />時超える一致に恐ろしさ</strong><br /><br />この坂の途中の左手（西側）に小さな平坦地があり、古図に描かれた西方院付属の小堂があった場所と推定される。<br /><br />700年前の古図と、ここの地貌はあまりに似通っている。古図の精度への驚きと共に、時間を超えた一致に、少々恐ろしささえ感じる。K氏も報告書にて「（堂宇比定を）確定してもよいと判断される」との結論を下している。<br /><br />樹木を整理し、最初にこの様と遭遇した調査の人達は、身震いすら感じたのでなかろうか。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera15.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「如意ヶ嶽稜線付近に続く如意越の道と土塁遺構,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>如意越を東行し赤龍社跡へ</strong><br /><br />大慈院・西方院推定地から谷道を登り、また如意越の道と合流する。如意越は、如意ヶ嶽稜線近くを近江滋賀側である東へと続く。<br /><br />途中、写真の如くまた土塁の関門が現れた。防御施設か寺の築地かは不明であるが、人為地形であることは間違いない。<br /><br />前に記した通り、山上は上り下りが殆ど無い為、快適な移動を続けられる。景観・路面状況共々、ハイキングにも最適なコースである。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera16.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「雨神社の水源,赤龍社の池跡,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />間もなく「雨神社」に到着。古図上方の本堂下辺りに描かれた、赤龍社と池の推定地である。K氏が如意寺遺構を再発見するにあたり、最初の目印・基準とした場所である。<br /><br />その根拠は写真に見える水。即ち池の跡である。「山中で池のある場所は限られる」との考えにより、ここを赤龍社跡と割出し、古図や文献に記載された諸堂の方角や距離を元に、各遺構を再発見されたのであった。如意寺研究に於ける、いわば記念碑的場所といえる。<br /><br />写真中央下辺りから「水神」碑右手に続く石塊は、古い池の護岸とのこと。赤龍社の名で推察されるように、恐らくそれは竜神信仰との関りを持つ施設と思われる。その本質は水の神であり、作物涵養との関係から、農耕に関りある存在でもある。現雨神社も同じ役割で、近世より雨乞い等の祭祀が行われてきたことを伝えている。<br /><br />参加者のCさんから「昔（古図）の建物と今の建物が似てる」との感想を貰ったが、確かに古図に描かれた2つの建屋の小さい方と、水源を覆う写真の祠が似ている。文献記録によれば「閼伽井（あかい。神佛に供える水を汲む井戸）」があったらしいが、ひょっとすると古図の小屋は池の水源に設けられた、その様な施設かもしれない。<br /><br />一応古図に描かれた大小の建屋の推定地は別所にある。池跡の背後（北側）の斜面上に造成された2つの平坦地である。池跡及びその周辺はかなり広い開けた場所にある。元は山上の高層湿地の跡か。古代・中世の頃には、古図に描かれているようなかなり大きな池があったことは確かなように思われた。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera17.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「深禅院推定地の平坦地,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />深禅院跡推定地に存在する大きな平坦地<br /><br />画像では判り難いが、奥側に周囲より少々地面が高まった堂宇基壇跡がある。<br /><br /><strong>Power Spot?<br />深禅院跡推定地</strong><br /><br />赤龍社推定地（雨神社）の次は深禅院推定地へ向かう。そこは、雨神社から然程遠くない地ではあるが、如意越、即ち登山道からは外れた場所にあった。正に、人知れぬ山陰に残された往古の人跡であった。<br /><br />少々陰々とした湿地の谷を下り、平坦地に至る。当初はそこが跡地かと思ったが、どう見ても狭く、古図に描かれた築地門付の諸堂の展開は想定出来ない。再度、地形図上に記された遺構図を参照し、付近を捜せば、そこから背後の急斜を伝い上る踏み跡を見つけた。<br /><br />皆を待たせ、私1人で駆け上ってみると、そこに広大な平坦地が待ち構えていた。土地の形状や広さ、周囲の地形等を確認すれば、正にそこが深禅院推定地であった。早速、土壇上から皆を呼んで、共に見学する。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera18.jpg" width="266" height="400" border="0" align="" alt="山会「深禅院跡の礎石,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />事前情報に因り、その広い平坦地内での遺物の発見は期待しなかったが、それでも前出画像（最上段）の五輪塔や、写真（上掲）の礎石を発見した。礎石は、正に平坦地奥側の堂宇基壇上にて複数見られた。<br /><br />但し、調査報告書には基壇は14世紀頃の廃材を元に15世紀中頃に造成されたものとあるので、古図に描かれた堂宇のものではなさそうである。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera19.jpg" width="266" height="400" border="0" align="" alt="山会「深禅院跡の五輪塔の残骸,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />前出の五輪塔以外にも倒壊した別の五輪塔の姿も見られた。全ての部材が揃わず、破損して、既に残骸と化しているが……。前出のものと同じく、後代に地中から掘り出されたものか。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera20.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「深禅院跡の階段石？,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />深禅院推定地見学後、前（さき）の急斜にて、大きな石材を見つけた。古図に描かれている通り、往古ここには階段があった筈である。さてはその部材か。<br /><br />周囲の地質等との関係上、人が持込んだものと思われ、長大かつ扁平である形状の特異さも、その推察を補強する。位置も丁度階段があったとされる急斜中央辺りである。ここで石段が検出されたとの報告は見ていないが、何にかしら関連があるものには違いあるまい。<br /><br />ところで、この深禅院跡。中々良い立地にあると感じられた。上手く伝えられないが、周りから隔絶され、光に乏しい木立の中にも拘らず、陰湿な感じがせず、清爽感すら感じられる。また、本来は水資源に乏しい稜線近くに存在するにも拘らず、付近に豊かな水源も擁している。<br /><br />今風、流行り風に呼ぶところの「パワースポット」的良地であろうか。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera21.jpg" width="400" height="276" border="0" align="" alt="山会「如意寺本堂推定地の住吉大明神礼拝座石,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>如意寺中心地本堂跡<br />礼拝座石の謎</strong><br /><br />深禅院跡推定地の次は、いよいよ本日の探査行最終目的地で、如意寺の中心施設でもある本堂推定地へと向かう。如意越をまた東行し、途中からそれと別れる形で、その推定地帯へと入った。早速、大きな平坦地が幾つも目に入ってくる。さすがは中心推定地である。<br /><br />写真は、正にその中核、本堂跡推定地にて出会った大石。50m四方の広さを持つ推定地の只中にて、静かに対面することとなった。長さ2m、幅・高さ共に1m程という、この臥牛様の大石。実は古図に描かれていた。本堂の、築地内の上部に見えるもので、「住吉大明神礼拝座石」との貼紙がされている。<br /><br />正にそのままの姿か。神物（しんもつ）に対して不届きだが、少々気味が悪い程である。K氏は「礼拝座石の可能性がある」と控えめに報告されているが、もはや、その疑いようは無いかと思われた。<br /><br />目ぼしい物は何一つ残されなかったこの寺跡で、何故この石だけが放置されたのか。また、この石は古図の位置より本堂側（縁の下）に移動させられている。その距離20m。本堂廃滅後のことであろうが、一体誰が何の為にその様な面倒を行ったのであろうか。それらのことにも、不謹慎ながら不気味さの如きものを感じたのであった。<br /><br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera22.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「如意寺本堂推定地端にある経蔵推定地の微高地,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />本堂跡推定地の西端にある経蔵推定地の微高地<br /><br />岩の露出が見えるが、本堂や講堂の基壇も、岩盤を削平・整形して準備されているという。古生層由来の硬い地質は居住や施設運営に安全と安定を齎すが、それと引換えに実に困難な工事を強いられたと思われる。<br /><br />なお、本堂やその近辺にある大型堂宇「講堂」の基壇は14世紀以降に整備されたことが、発掘調査から判明している。古図に描かれた建屋のものか、若しくはその次の世代のものであろうか。確かにそれを知り得る手立ては、今は無い。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera23.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「如意寺講堂跡推定地,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>講堂推定地。本堂と面続きの可能性は</strong><br /><br />本堂跡推定地の東側には、講堂跡推定地とされる一段低い平坦地がある。またしても判り難い写真で恐縮だが、写真がその全景で、本堂側から続く5m程高い地点から撮っている。<br /><br />撮影地から見て窪地となるその平坦地底の左半分が少し高くなっており、そこが講堂の基壇跡と推定されている。対向斜面の上にも平坦地が見えるが、出土遺物から分析すると、その辺りに最初の講堂が建てられたのではないかと推測されている。その年代、10世紀前半。正に如意寺が創建されたと思われる頃である。<br /><br />ただ、私は古図の「精度」を信じて、本堂と面続きの場所に講堂が存在したみられる、もう1つの時期・可能性を考えている。これまで確認した通り、古図の描写には侮れぬものがある。何か、境内を正確に描出する必要があり、それに因り現地を実見し綿密に作成されたと思われるのである。<br /><br />因みに、講堂とは後に本堂同様の役割を果たすようになる、寺の主要施設である。実際、中世以降は、講堂を本堂と呼ぶ例が多々現れ、現に如意寺のそれも、本堂を凌ぐ規模を有している。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera24.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「如意寺本堂平坦地東側から谷下の平坦地群を望む,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />本堂跡平坦地東側から谷下の平坦地群を望む<br /><br /><strong>往古の大規模造成工事跡<br />日没近づき撤収へ</strong><br /><br />この本堂推定地区には併せて10箇所以上の平坦地が存在するという。それらは、古図や文献史料に記された20以上の堂宇を十分収容出来る広さを有すらしい。当時としては、相当大規模な造成工事を行っていると、K氏もその報告書にて感慨を記す。<br /><br />この他、谷の下部には正寶院跡とみられる大きな遺構群があり、またここから東1kmの山中にも寺との関連が窺われる遺構があるが、今日これにて終了。日没を意識して、そろそろ西方は京都市街方面に引揚げなければならないからである。<br /><br />時間の関係で、全域の詳細見学が叶わず、見残す場所も出たが、主要な場所は押さえられたので、今日は完了とする。また機会あれば再踏査を行いたい。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera25.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「大文字山（現如意ヶ嶽）山頂から見る京都市街の夕景,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />大文字山（現如意ヶ嶽）山頂から見る京都市街の夕景<br /><br /><strong>別口の如意越下る<br />淡い夕景に早い春を感じる<br /></strong><br />下山・帰着の為、これまでとは逆方向の西へ向かって如意越をゆく。途中、元の道を外れ、今は大文字山山頂と呼ばれる如意ヶ嶽城主郭部分に立寄る。そこにて、良好に残る城址遺構についての見学や説明を少々催すなどした。また、山頂にて暫し小休止。これより市街への急斜を下る為の備えである。山頂からは、写真の通り、市街の淡い夕景が見られた。<br /><br />砂が飛んでいるのか――。全てが曖昧内に沈む盆地に、少々早い春を感じた。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera26.jpg" width="400" height="266" border="0" align="" alt="山会「大文字山火床より夕刻の京都市街を見る,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />道は山頂から長い下りに転じ、五山送り火（大文字焼き）の火床を通過。一応この道程も、銀閣寺付近の別口と接続する、如意越の一部とされる。一面に冬枯れの草地広がる火床では、山頂より更に拡大接写された市街夕景が広がる。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera27.jpg" width="266" height="400" border="0" align="" alt="山会「火床から鹿ケ谷への道,如意寺,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br />大文字火床内にある「大」字の右払いに沿う石段を下り、再び森中へ。そこから、また道を変え鹿ケ谷へと向かう。<br /><br />写真は、谷へ下るその道の様子。火床と銀閣寺を結ぶ道に比して格段に往来の少ないこの道は、一部歩き難い場所もあったが、精鋭組の山会一行の難となることはなかった。<br /><br /><br /><img src="http://ginreido.sakura.ne.jp/sblo_files/seiran-touji/image12_02_05/nyoidera28.jpg" width="268" height="400" border="0" align="" alt="山会「夕刻の鹿ケ谷と山の端の月,山岳寺院遺跡,中世,如意ヶ嶽」" /><br /><br /><strong>鹿ケ谷帰着<br />美麗の月に壮麗の門想う</strong><br /><br />そして、谷への道をひたに下り、鹿ケ谷の車道と合流。何とか日没の暗夜到来までに下山が果せたのであった。写真は車道を少し上り、登山口まで自転車の回収に向かうところ。<br /><br />ちょうど山の端（は）上に、朧ながらも美しい月の姿が見られた。嘗て、この谷上に開っていた（はだかっていた）、かの如意寺月輪門の壮麗を少々想わされた。<br /><br />その後、すっかり暗くなった鹿ケ谷を後にして打上げ場所まで移動。楽しい会食の時間を過ごし、日を終えたのであった。なお、事前に数組から打上げのみの参加可能性を打診されていたが、会場が現地よりかなり遠方（北方）になった為、足労を考慮し、連絡を止めた（とどめた）。この場を借りて了承を請うところである。<br /><br />皆さん、お疲れ様！<br /><br /><a name="more"></a>

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            <category>山会</category>
      <author>藤氏 晴嵐 (Seiran Touji)</author>
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